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10月1日のまにら新聞から

教訓を次世代に

[ 702字|2012.10.1|社会 (society)|新聞論調 ]

戒厳令布告から40年

 戒厳令について次世代にどう伝えるべきか。

 ポルポト政権時代に大量虐殺があったカンボジアでは、虐殺を指揮したクメールルージュ幹部を裁く特別法廷が設置された。南アフリカでは、アパルトヘイト(人種隔離)政策が廃止された後、真実和解委員会が設置され、加害者と被害者双方が分裂国家の修復に向けて証言した。

 フィリピンではマルコス独裁政権の崩壊から26年、戒厳令布告から40年を迎え、悪名高いマルコス家が権力の懐に安住してきただけでなく、実態と違うマルコス時代の歴史が多くの国民に影響力を持つ。

 アキノ大統領はこのほど、戒厳令下の人権被害者の肉声や関連文書の収集に当たる「戒厳令歴史諮問委員会」を創設した。称賛に値する動きである。しかし、なぜ今頃になって、という疑問を禁じ得ない。

 1986年のアキノ政変後、ちょうど一世代のフィリピン人が大人になった。若者の多くがマルコス時代について、無関心で無知だ。それは、歴史授業の浅薄さ、国を覆う無関心と健忘症に起因する。

 「歴史のない国は幸せだ」という格言がある。それは、個人と国の由来に関わる情報を忘れた愚者の幸せである。だから、フィリピン人は世界で最も幸せだと言われるのだ。つまり、さっさと過去を水に流してしまう軽率な国民性は、負の側面なのだ。

 戒厳令下では、街の治安は保たれ、ギャング団は姿を消した。その代価は恐ろしく高かった。3257人が殺され、3万5千人が拷問を受け、7万人が投獄された。学生たちに、二つの関連が分かるだろうか。

 真実を追求し、戒厳令の教訓を次世代に伝えよう。急ごう。やり残したことは多い。(26日・インクワイアラー)

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