「勝ち目ない勝負」か
ロット賞金論議
「5億ペソをどう使おうか?」。宝くじ「グランドロット」の累積賞金額が史上最高を更新し続けた過去数週間、多くの国民が自問自答を繰り返したことだろう。マスコミでも連日取り上げられたが、ラジオ番組の司会者が「5億ペソを全国民に分配すべき。1人当たりの取り分は500万ペソになり、これは生活向上に直結する」と訴えたのには苦笑した。比の総人口は約9千万人で、配分は1人当たり5ペソにすぎないからだ。
賞金額は最終的に7億4千万ペソを超え、ルソン地方サンバレス州オロンガポ市で販売された1口が大当たりとなった。その後の反応は実にさまざまで、素直に当選者を祝福する人もいれば、「当選者に何か悪いことが起こらなければよいが……」と不吉なことを言う人もいた。名前など当選者の個人情報が、運営者の比慈善宝くじ協会から漏れることを知っているからだろう。
わたしも当初、グランドロットを買い続けたが、賞金額が5億ペソを超えた段階で購入をやめた。何も、大金が不要だったわけではない。大人に混じって、制服姿の高校生や子供がロット販売所前に並ぶ光景を見て、「賞金額の膨張を止めるべき。希望や未来はロットという賭博で手に入れるものではないと子供に教えなければならない」と思ったためだ。
しかし、残念ながら賞金額の上限設定や制限を求める声は少数派。子供たちの手本になるべき上院議員や閣僚らも、こぞってロットを買い続け、その夢を語り続けた。何かにつけて「モラル」を口にするカトリック司教協議会の司教らにとっても、賞金論議は「勝ち目のない勝負」だったようで、「ロットは邪悪だ」という説教はついに聞けなかった。(1日・スタンダードトゥデー、ボン・オステロ氏)