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8月2日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 679字|2010.8.2|社会 (society)|ハロハロ ]

 先日、親しいフィリピン人が「この間、セブで会った人はフィリピノ語が全く通じない。やりとりはすべて英語だった」と嘆いた。その言葉で思い出したのは、6年前、アロヨ前大統領が英語で行った施政方針演説。当時、「主権国の大統領がどうして自国語で話さないのか」と反発を招いた。先月26日、アキノ大統領はフィリピノ語で国民に語りかけていた。フィリピノ語は1987年、憲法で定められた国語で、その実体はタガログ語。マニラを中心にしたルソン島中部で話されている。

 国語は国民統合の要(かなめ)といわれるが、その普及の前に立ちはだかるカベの一つが100を数えるフィリピン諸島の地方語。主要言語だけでもタガログ語、セブアノ語(ビサヤ地方)、イロカノ語(ルソン島北部)など八つある。それぞれが別な言語で、東北弁と九州弁で違う方言やイントネーションなどとは全く異質。ケソン市育ちで、セブアノ語が共通語のミンダナオ島で働いた経験のある拙宅の運転手は「あれはまるで外国語。全くチンプンカンプン」と首を振る。

 義務教育として、フィリピノ語の基礎を小学校、高校で教えている。しかし、教育現場で英語がフィリピノ語と併用され、公用語として重視されている。その修得はビジネスマン、知識人らに不可欠といわれる。フィリピノ語がこの国の人たち共通の言葉として定着するのはいつの日か。再び口を開いた友人が「独立してまだ64年。『国民』という意識は我々一人ひとりの心の中で薄いようだ」と吐露すると、横で奥さんも首を縦に振っていた。スペイン、米国の植民地支配は三世紀半にわたった。 (濱)

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