エドサの果てに
政変から24年
1986年のアキノ政変(エドサ革命)から24年。国家は前進したのか。同政変とエドサ2(2001年1月)で指導者となったアキノ元大統領とアロヨ大統領の足取りを見直してみる。
共通するのは前政権の汚職。アキノ元大統領は汚職と無縁とみられる一方で、実弟コファンコ元下院議員ら一族実業家の不正を黙認した。
アロヨ現政権は発足からエストラダ前大統領の不正蓄財事件に関連した司法長官の収賄疑惑が浮上。政府ブロードバンド網の不正受発注事件や肥料予算流用、前回大統領選の不正や弾劾発議に絡んだ議員買収など疑惑が尽きない。
アキノ元大統領は民主主義機能の回復に尽力した半面、国軍への「借り」が影響して、首都圏マニラ市での農民13人虐殺など軍主導の人権侵害の頻発を招いた。包括的農地改革が頓挫し、農民数万人の人権を侵害した。
アロヨ政権は反民主主義的な政権運営を続けた。反政府集会を取り締まり、「政情不安」で非常事態を宣言。高官の国会証言を制限し、批判的な報道に対しては名誉棄損で圧力を掛けた。
アキノ政権は独裁政権の負の遺産を引きずり、6年間で活動家ら1064人が処刑された。アロヨ現政権でも犠牲者は1118人に上った。
アキノ政権下の1989年に起きたクーデター未遂で150億ドルの外国投資が滞り、経済成長は大幅に遅れたとの見方もある。アロヨ現政権の経済成長率も0・9〜7・1%と不安定に推移する。高給職の雇用は減り、国民は海外へ職を求める。出国した比人就労者は1986年の38万人から123万人(2008年)に急増した。
二つの政変は失敗した。真の政変はまだ訪れていない。(23日・インクワイアラー)