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5月25日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 681字|2009.5.25|社会 (society)|ハロハロ ]

 「アリ・サディキンというインドネシア人を知っている?」。家人のメールに書かれたこの一文に、目が止まった。同時に、駆け出し特派員だった三十年前のジャカルタで、治安当局の監視の目をかいくぐり、この人物を取材した記憶が懐かしくよみがえった。「バン・アリ(アリ兄貴)」の愛称を持つサディキン氏は、海軍少将からジャカルタ特別市知事に転身。大胆な都市改造で政治指導力を発揮、一九七一年のマグサイサイ賞(行政担当部門)を得た。その後、スハルト大統領の独裁政治を鋭く批判したため知事職を追われ、以降、反スハルト運動の急先鋒として政権を脅かす存在となった。

◇   

 メールによると、家人は最近、友人宅に呼ばれて食事をした際、友人の母親も加わり、話題がインドネシアに及んだ。その母親が「会って身震いを覚えた男性は『アリ・サディキン』というインドネシア人」との「秘話」を披露したという。母親は約四十年前、在京のインドネシア系企業に勤め、訪日中のサディキン氏に紹介され、その威容と格好良さに「身震いした」そう。確かに、同氏は一八〇センチの長身で、鼻筋の通った精かんな顔つき。 

◇   

 サディキン氏は、スハルト死去(昨年一月)からわずか四カ月後の五月二十日、八十歳でこの世を去った。それは、長年にわたり批判の矛先を向け闘ってきた独裁者の最期を見届け、自らも燃焼し尽くしたかのような死だった。友人の母親は家人の連絡で「身震い」の相手、サディキン氏の死を初めて知ったという。この母親も「バン・アリ」の冥福を祈りつつ、一時、青春時代の甘い思い出にひたったかもしれない。(道)

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