ハロハロ
伝説の山にすむ妖精(ようせい)マリアのご機嫌がよいのか、三月に入ってから首都圏南郊にそびえるマキリンは、ほぼ年中山頂を覆っている雲が吹き払われて、全容を現す日が少なくない。ところが、マキリンだけでなく、周辺のラグナ、バタンガス両州一帯はいま、四季のない南国ではあるが、「春霞(かすみ)に包まれている」と表現するのがぴったりの情景だ。
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霞と霧。「気象学では、視界が一キロ以下のものを霧と言い、霧の薄いのを霞と決めている」(『日本大歳時記』講談社刊)。気象用語に霞はないが、いずれも春秋に発生することの多い同じような現象。それを平安時代以後、春は霞、秋は霧と使い分け、それぞれが俳諧の季語になっている。こんなところにも、季節に対する日本人の特性を感じる。日本語とは対照的に英語では特別な現象を除くと、霧も霞も、そして靄(もや)も「mist」。
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霞は水面や地表近くで水蒸気が凝固し、小さな水滴になって空中に浮遊する現象という。マキリン周辺に発生するのは、すぐ近くにあるこの国最大の湖、バイ湖(ラグナ湖)から、マキリンのはるか南に連なる山々がかすんで見えるのはタール湖から、それぞれ立ち上る水蒸気によるものなのか。「春なれや名もなき山の薄霞」(芭蕉)——。うたかたの春霞が消えて酷暑の訪れる日は間近い。(濱)