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7月24日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 589字|2006.7.24|社会 (society)|ハロハロ ]

 三月のパラリンピック・トリノ大会で金メダル一個と銀メダル二個を獲得した大日方邦子さんの講演を聴く機会があった。三歳の時に交通事故で右大腿(たい)部を切断しながら障害者スキーに取り組み、パラリンピック四大会に連続出場。獲得したメダル総数は金二個と銀、銅各三個の計八個に上る。大学を卒業後、NHKに入社し、学校教育部門のディレクターとして番組制作や講演などで全国を飛び回っている。

 初出場はノルウェーのリレハンメル大会。「当時、国内で四年ごとに開かれるパラリンピックを知っている人はほとんどいなかった」と話す。同大会では銀、銅メダリスト各三人が誕生したが、マスコミでは選手出身地の地方紙がベタ記事(一段)で小さく報道しただけだった。NHKはカメラクルー一組を出したが、企画取材に専念して五輪報道とは雲泥の差があったという。

 マスコミが大変身したのは四年後の長野大会だった。地元開催とあって新聞、テレビが日増しにフィーバー。NHKは放送予定になかった閉会式を急きょ中継した。しかし、この過熱報道は一過性で、次のソルトレーク、トリノ大会まで持続しなかったという。大日方さんは「長野の報道は何だったのか。マスコミは護送船団で盛り上がるが、冷めるのも早い」と痛烈に批判した。報道に携わる一員として耳の痛い講演だった。 (富)

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