マニラ港十三番街
中古家電販売店が密集
マニラ南港十三番街に中古家電品販売店が集まったした一角がある。公設市場を思わせる大きな建物に掲げられた「NEW PORT SHOPPING
AREA」と赤い字で書かれた白い看板が目を引いた。周辺には露天商や屋台が立ち並び、いささかさびれた雰囲気が漂う。建物の中に入ると、テレビ、ミシンを中心に、修理された中古電化製品の販売店がずらりと並び、店員の呼び込み声があちこちから聞こえてきた。
所狭しと積み上げられた中古テレビはすべて輸入された日本製で、「メード・イン・ジャパン」の人気の高さをうかがわせる。十四型テレビは千二百ペソから売られている。二十一型で二千五百ペソ、二十九型でも四千ペソ程度。中古ミシンは千五百ー二千五百ペソ、クーラーは三千ペソが相場だった。
顧客の主体は中高年層だ。夫婦で買い物に来ていたマニラ市在住のローランド・ロサルさん(40)は、クーラーの空調具合を熱心に点検していた。「この猛暑の折り、自宅のクーラーが壊れてしまい、我慢できなくなった。新品は高くて買えないのでここに来た」と話してくれた。
約二千平方メートルの敷地内に似たような五十余りの店舗が集中し、経営者、店員など関係者のほぼ半分はミンダナオ地方出身のイスラム教徒という。市場の近くにはモスクもあり、数年前に同地域のバランガイ(最小行政区)議長にイスラム教徒の比人が選ばれたこともあって、ミンダナオ地方を中心にしたイスラム教徒が増え始めたという。
ここで親の代から三十年間も商売をしているリンド・パザウラン(42)もミンダナオ地方南ラナオ州出身だった。一九七〇年後半から八〇年中頃までは中国系比人が中国製衣類や日本直輸入の中古ミシンを修理して販売していた。
しかし、同市ディビソリアなどの市場に顧客を奪われ、中国系比人らが同モールでの販売をやめた。これに伴い、リンドさんもマルコス政権が崩壊した八七年ごろから知人のベトナム人から仕入れた同国産の化粧品を売り始めたという。周囲の店舗の影響で、テレビを販売し始めたのは〇〇年ごろから。
奥に進むと、蛍光灯が点いているだけで薄暗く、ステレオの音量が鳴り響く。店舗のシャッターはところどころ閉めっぱなしで、休日の日本の商店街を思わせる。
さらに奥に進むと、ハンダコテを手にした修理屋が、解体したテレビに向かって腰を丸めて修理中だった。広さ、約四平方メートルの部屋に扇風機がひとつ設置されただけの部屋。三人が汗びっしょりで作業に取りかかっていた。とにかく暑い。
日本から週二便でマニラ港に到着した中古電気機器は、マラボン市、パラニャーケ市などに倉庫を構える比人業者が引き取りにくる。それを店舗の販売員らが買い付けに行き、修理したものを販売するという仕組み。仕入れ値の約一・五倍の値段で売られる。
真っ黒になった手で修理を続けるアントニー・アベレテスさん(36)は、一日に十ー三十台のテレビを修理する。IC部品や抵抗器などをハンダコテで丁寧に一個一個取り付けていく。
アントニーさんは「十五年続けているが、最近は不景気でテレビの売れ行きは悪くなった。それにしても日本製のテレビの品質は抜群だね」と微笑した。(水谷竹秀)