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6月27日のまにら新聞から

偉大なる指導者

[ 699字|2005.6.27|社会 (society)|新聞論調 ]

シン枢機卿逝去

 ハイメ・シン枢機卿の偉大さは、アキノ政変(エドサ1)での彼の行動主義に由来する。最初の呼び掛け人ではなかったが、その声には絶大な信頼があった。エドサ1では当時のエンリレ国防相率いる反乱軍を支持、エドサ通りにカトリック信者を結集させ、マルコスへの反乱を小さな渦から津波へと拡大させた。

 呼び掛けで反マルコス派に転換した兵士もいた。さらに、その声は米国のホワイトハウスや国防総省にも届き、クラークに駐留していた米空軍を出動させるに至った。

 カトリック教徒の貴公子は、政治家や閣僚が犯した罪に言及する責務から逃げなかった。説教で、政治家を名指したことはなかったものの、カトリックの道徳や民主主義に反する権力者に抵抗した。

 シン枢機卿と親密に行動を共にした同志は、彼が善良な司祭で、深い精神の持ち主だと信じた。枢機卿は、「祈りとは神に請い願うことを意味する。だが、より大切なのは、勇気とユーモアをもって神の意思に耳を傾けることだ」と説いた。

 司教らはシン枢機卿が故ローマ法王パウロ二世の後継者たり得ると考た。彼と共に過ごした仲間は、彼の敬けんさと真の神聖さについて語る。

 エドサ1と同2でシン枢機卿が果たした役割で恩恵を受けたアロヨ大統領と、アキノ元大統領は、彼について熱っぽく語る。   

 三年前、本紙の編集者が彼から受け取った手紙には「記事にエドサ記念式典での私のメッセージを添えてくれてありがとう」と記し、「神のご加護に長年支えられてきた。命の限り、平和への祈りをささげよう」と呼び掛けていた。枢機卿は自分の責任を果たし続けた、善良な指導者の手本であった。 (22日・タイムズ)

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