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12月12日のまにら新聞から

神風特攻隊戦跡

[ 1247字|2004.12.12|社会 (society)|名所探訪 ]

地元の理解得て整備進む

 車が通過するたびに、十年以上も前のピナトゥボ山噴火がもたらした火山灰混じりの泥流、ラハールの白い砂ぼこりが巻き上がる。ルソン島中部パンパンガ州マバラカット町の中心部から車で約十五分。背丈を優に超える草が一面に生い茂る草原の一角に、きれいに整備された小さな公園があった。

 入り口には高さ約五メートル、幅約六メートルの石造りの鳥居がそびえ立ち、そばには日本語と英語の大きな碑文が並ぶ。六十年前に初の体当たり攻撃を行った神風特攻隊が飛び立った飛行場「イースト・エアフィールド」跡だ。

 一辺が二十メートルにも満たない公園の中では、腰に手を当てた特攻隊員の像が、一人遠い視線を青空に送っていた。

 訪れる人もなく、静けさが漂う中を赤トンボがそよ風に揺られながら舞う。公園の両側では赤やピンクの花が咲き乱れ、戦闘機で敵艦に突っ込むという悲惨な戦術の発祥地と思えないのどかさ。だが、フィリピン国旗と並んで公園の壁に彫られた色あせた巨大な日章旗は、ここが戦跡であることを如実に示していた。

 マバラカット町は、町おこしの一環として一九九八年から特攻隊などに関する戦跡三カ所の整備事業を進めている。観光促進が目的とはいえ、日本に侵略された側の比で「負の遺産」ともいえる戦跡を保存しようという珍しい取り組みで、公園もその一つ。

 同町のクラーク特別経済区内にある飛行場「ウエスト・エアフィールド」、日本軍がクラーク基地を死守するために立てこもった「リリー・ヒル」にも記念碑や碑文、観音像などが建てられている。

 日本の僧りょや支援団体の援助もあり、三カ所ともようやくそれなりに体裁が整ってきた。

 同町やクラーク開発公社は今後、三カ所に博物館を併設するなどし、施設の充実を目指す考え。同公社は観光省の協力を得て、日本政府に対し二千万ペソの二〇〇六年度文化無償援助を申し込む予定で、日本の高校生らを対象にした歴史教育ツアーも計画している。

 戦跡整備に対する考えは、「観光」の同町と「慰霊」の日本サイドでズレがないわけではない。しかし、両国民らに第二次世界大戦の歴史的事実を知らせ、「悲惨な戦争を二度と繰り返させない」という点では一致している。

 地元住民の感想は「国に命をささげた特攻隊員に同情するし、町の経済向上につながる」(39歳、販売員男性)、「日本軍は規律が厳しかった。汚職まみれの国軍にも見習ってほしい」(82歳、自営業男性)などと整備事業への反発は皆無だった。

 関係者は、日本軍が地元住民にあまり危害を加えなかったことや、日本で働く比人就労者により多数の家族が支えられている現実が地元の高い理解の背景にあると分析する。

 一方、大手英字紙のコラム欄でこのほど「特攻隊員像は第二次世界大戦で日本軍と戦った比人兵士に対する侮辱」との意見が紹介されるなど、全国的な理解が得られているとは言い難い。「特攻隊員を賛美しているわけではない」との同町の説明が受け入れられるのには時間がかかりそうだ。(湯浅理)

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