首都圏警察西部本部
マニラの「至高」か「伏魔殿」か
外国人観光客の姿が目立つマニラ市。主要道路の一つ、タフト通りを北上しUN通りを右折すると、道路にはみ出した車が多数駐車している場所がある。マニラ市を管轄する首都圏警察西部本部(WPD)だ。ゲート脇には制服姿の警官もいるが、ほとんどの警官は私服姿。野球帽をかぶり、サンダルを履いた者は珍しくない。金のネックレスや指輪を身に付け、腕に入れ墨まである者もいる。初めて訪れると、場所を間違えたかと戸惑ってしまう。
白塗りの建物は第二次世界大戦後の一九四六年、米国の援助で再建された。ここで警官計千六百人が三交代制で働く。玄関を入ると、床にWPDのバッジを模した直径約三メートルの円状の記念碑がいきなり登場する。米国統治下で国家警察軍が創設され、マニラ市に警察が登場した一九〇一年から百二年目の今年一月に設置された。「マニラの至高」とWPDをたたえる文字が踊っている。
中を進むと壁には「地域社会への奉仕がわれわれの使命」「治安維持と市民の安全確保に尽力」などの標語も見られた。だが、裏腹にWPDに対する市民の信用は皆無に等しい。それもそのはず、捜査着手に当たって被害者に「経費」請求するのは日常茶飯事。さらに違法露天商や売春婦からは「ピンはね」、ナイトクラブではただ酒を飲み、時には事件をでっち上げて無実の市民を逮捕し「釈放料」をせしめることもある。
誘拐や強盗、麻薬事件などに関与した疑いで告訴される警官も後を断たず、これでは信用しろという方が無理。WPDは今年一月に昨年下半期に犯罪検挙率九五%を達成したと発表、聞き付けた市民からは「有り得ない。インチキだ」と冷笑する声が出ていた。
だが、当の警官らは信用失墜にもどこ吹く風。勤務中につめの手入れやマッサージを受けるのは当たり前となっている。受付で眠りこけている者もいる。市民からの電話通報にも、真剣に応対しているようには見えない。夜には飲みに繰り出し、国家警察本部が先に出したナイトクラブ通い禁止令は形がい化。WPD前の飲食店街では午後五時すぎから深夜まで、警官らの大音量の歌声が途絶えることがない。
警官の兼業が地元メディアに取り上げられて問題化している中、WPDでは名刺の裏に堂々と自分の副業を記している者がいるのには恐れ入る。窃盗などに遭い被害届を出しに訪れた日本人観光客をみつけると観光ガイドを買って出る者もいる。
一階吹き抜けには歴代長官の写真が飾られている。初代は第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー米陸軍元帥の父で、比軍政長官を務めたマッカーサー米陸軍中将。最後の方にエブダネ現国家警察長官の写真もあった。WPD出身のエブダネ長官に、綱紀粛正を期待できるだろうか。(湯浅 理)