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9月13日のまにら新聞から

移民1世紀 第3部・新2世の闇と未来

[ 1518字|2003.9.13|社会 (society)|移民1世紀 第3部・新2世の闇と未来 ]

日本国籍のまま違法滞在

孫3人の面倒をみているレイナさん(右端)。日本生まれの拓真君(左端)は来比直後は日本語を話したが、今はビサヤ語だけになった

 ミンダナオ島ダバオ市郊外に住むレイナさん(64)=仮名=は夫(65)とともに、エンターテイナーの娘が残していった孫三人の面倒を見続けている。

 三人の父親はいずれも日本人。うち二人の父親の名前は分かっている。最後の一人については「『自分が父親だ』と名乗る二人の日本人が養育費をダバオまで持ってきたのです。黙ってお金は受け取りましたが、私にはどちらが本当の父親か分かりません」。レイナさんは半ば冗談話のつもりだが、笑えない。

 娘のテスさん(29)=同=は九人きょうだいの末っ子で、一九九〇年に初めて日本へ渡った。就労先の新潟県で知り合った男性(42)と翌年結婚し、九二年六月に長男拓真君(11)を同県内の病院で出産した。九三年に離婚した後も日本滞在を続け、九八年八月には別の男性(28)との間に二男英司君(5)が生まれた。

 レイナさんの手元に残された日本語の「契約書」によると、二番目の男性は九九年四月、弁護士の立会の下でテスさんと養育費と慰謝料計百万円と引き替えに内縁関係を解消させたようだ。これを機に、日本生まれの子供二人を連れて故郷ダバオへ戻ったが、この時既に三男ユウスケ君(3)を身ごもっていた。二人の男性が「父親」としてお金を持ってきた子だ。

 「帰ってすぐ、娘は家のペンキを塗り替え、エアコンや応接セットを買いそろえました。日本で何があったのか、私はよく知りません」とレイナさん。手持ちの金が尽きたためか、テスさんはユウスケ君を出産後、再び一人で実家を飛び出していった。マニラにいるのか、それとも日本へ舞い戻ったのか。母レイナさんにも分からない。

 年老いた祖父母の元に残された幼い孫三人。悲劇を絵に描いたような構図ではあるが、幸い祖父母の所有するココナツ農園から三カ月に一度、八千ペソ程度の定収入がある。

 問題は、生活よりも孫二人、長男と二男の国籍問題だ。二人は日本生まれの日本人。九九年五月、母と比へ渡った時も日本政府の旅券が使われていた。比国内での出生は未登録で比国籍はまだない。つまり、二人は日本人として四年近く違法滞在(オーバーステイ)を続けてきたことになる。長男拓真君の日本旅券は既に失効し、二男英司君の旅券も紛失して有効期限は不明だ。

 出生の遅延登録など比国籍を取得する手段はある。ただ、日本国内で比人の母から生まれたことを証明する書類をそろえなければならない上に、違法滞在期間分の罰金も支払わなければならない。

 レイナさんは「私にはどうすればいいのか分かりません。小学校には何とか入れてもらえましたが、高校、大学は(日本国籍のままでは)難しいでしょう。出入国管理局に捕まえられるかもしれないし・・」と困惑するばかりだ。

 日本人と比人の間に生まれ、経済的に困窮している「新二世」らを支援している民間団体「マリガヤ・ハウス」(ケソン市)によると、拓真君たち同様、日本生まれで比滞在を余儀なくされている新二世は把握分だけで十人程度いて、違法滞在状態になっている可能性がある。

 同団体で四年近く母子と向き合ってきた松本みづほさん(32)は言う。「母親の多くは、自分が比人だから子供も比人だろう程度の認識しかなく、問題意識が希薄。遅延登録で比国籍を取るように勧めていますが、書類作成費用や(違法滞在の)罰金を工面できず断念してしまうことが多い」

 近い将来、日本国籍の新二世たちが違法滞在で比当局に身柄を拘束される事態も可能性としては否定できない。日比両国の間に埋まった「時限爆弾」がさく裂する時、新二世たちの存在は邦人保護に絡む問題として日本政府に突き付けられるだろう。(つづく)

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