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12月1日のまにら新聞から

タール町バシリカ教会

[ 1172字|2002.12.1|社会 (society)|名所探訪 ]

歴史刻む東洋一の聖堂

 マニラ首都圏から車で二時間ほど南下、タール湖を西側に回り込むと、バラヤン湾を見下ろせる高台にバタンガス州の古都、タール町がある。スペイン様式の町並みが続く同町の中心部のひときわ高い丘の上に、東洋一の規模を持つと言われるサンマーチン・バシリカ聖堂教会がそびえ立っている。聖堂正面の巨大な石造建築物は十八世紀に建てられたもので、現在もその偉容を当時そのままに誇っている。

 この町はもともとボンボン湖と呼ばれた今のタール湖畔にあり、スペイン統治開始から間もなくの十六世紀後半にバタンガス州の州都に定められた。一七五四年にタール火山の大噴火により消失し、町は現在の高台に再建された。その後は州都として繁栄を極め、フィリピン革命政権時代の一八九九年に起草されたマロロス憲法には、バタンガス地方を代表して同町出身のレオン・アパシブレ将軍が署名している。フィリピンの国旗を初めて縫ったマルセラ・アゴンシリオの生家は今も記念館として同町に保存されている。

 また、現政権で国家安全保障担当の大統領顧問を務めるロイロ・ゴレス元下院議員や男性人気歌手のオジー・アルカシッドなど政治家や著名人物を輩出している。アルカシッドさんはこの聖堂で結婚式を挙げた。

 長い回廊を歩いてバシリカ聖堂の奥に突き当たると聖母マリアの木像が置かれている。一六〇三年に豊漁を祈願して製作したもので、中国仏教美術の影響を受けているという。聖堂の歴史に詳しい同町住民のディンドン・モンテネグロさん(50)は「前回の九一年にタール火山が噴火したときには、前日に聖堂の上空に馬に乗った聖アンソニーが現れ町民に噴火を予告した」と話してくれた。

 しかし、かつて町民に豊漁をもたらしたり自然災害から守ったりしてくれた聖堂の神たちも最近は力を失いつつあるようだ。バタンガス州の州都の座はすでにバタンガス市に譲り、経済発展が遅れて市に昇格できないでいる。

 政府機関の国立歴史研究所が聖堂を含めた町内の十カ所の建築物を歴史遺産に指定したのに合わせ、町当局は「遺産地区条例」を施行、町中心部では商業ビルやオフィスの設置が禁じられた。このため町の地方税収入が減少してしまい、最近、町を訪れる観光客から一人当たり二十ペソを「観光税」として徴収するという苦肉の策に出た。

 同町観光課のマルー・パシランさん(23)は、「町内の一角が歴史遺産指定され観光名所となっているイロコス州ビガンの人気に比べるとタール町の現状は寂しいかぎり」と声を沈ませた。しかし、手製刺しゅう入りバロンタガログ、飛び出しナイフのバリソン、マリネード風焼き豚のタパ、ロンガニサと呼ばれるソーセーなど町の名物の名を次々と紹介してくれた。「盛んな地場産業を一層振興し、町おこしへとつなげることは可能だ」と将来への抱負を語った。(澤田公伸)

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