「徒歩文化」の欠如
トライシクル依存症
ドイツ・ハンブルグを訪れた際、地下鉄の駅から港近くのレストランまで歩く機会があった。ドイツ人ガイドの話では、レストランまでは徒歩で二十分。歩き始めて気付いたことは、「徒歩二十分」はかなり早足で歩いて二十分間という意味で、私の感覚とは若干違っていた。ドイツ人の同行者はみな、職場や学校、買い物に行く際、日常的にかなりの距離を歩いており、違和感を抱いているのは私一人だけだったようだ。
フィリピンには「徒歩文化」が欠如していることをこれまでに何度か指摘してきた。最近も首都圏鉄道(MRT)の利用者から「駅とモールや食堂街が離れすぎている」という不満の声を耳にした。
聞けば、トライシクルが走っていないために、歩くかタクシーなどに乗るしかなく、不便で出費がかさむということだった。歩くと汗をかいてしまい「朝風呂」に入る意味がなくなってしまうらしい。また、突然雨に降られ濡れネズミになったり、帰宅途中に路上強盗に遭う恐れもあるという。
文句を言いたい気持ちはよく分かる。なぜなら、フィリピンの道路は歩行者のことをほとんど考慮せずに作られているためだ。太陽の熱や雨、真っ黒い排ガス、強盗など歩くことをちゅうちょさせる要因もある。
ただ、これらは自分たちの怠惰さを隠すための言い訳のように私には思える。自宅の玄関前まで送り届けてくれるトライシクルは確かに便利だが、依存すればするほどより怠惰になるのだ。また、「徒歩文化」の欠如は距離感覚をマヒさせるようで、道を聞いてもドイツ人のように「徒歩で二十分」という答えは期待できない。返ってくるのは「あのあたり。すぐ近くだ」という答えばかりだ。(26日・インクワイアラー、コンラド・デキロス氏)