歴史教育の重視を
国家概念の育成方法
新教育課程の下、公立学校で読み、書き、数学の基本科目を重視したカリキュラムが実施され始めた。
このような転換は生徒の市民としての自覚を損なうものではない。「読み、書き、そろばん」ができなければ批判的精神は育たない。批判的精神なくしては市民意識の形成はありえないからだ。問題は、これら三科目のレベルが低いことにある。まして中途退学すれば文盲である。基礎学力の低さは、教師の質の問題だ。実際、学生の時に教職単位を落とすような者が多い。
教育をより高度にするためには歴史を集中的に教えるべきだ。他のアジア諸国の人々に比べて、フィリピン人に欠けているのは国家概念だ。これを養うには歴史教育が一つの有効な手段である。歴史概念がないから国家概念も育たない。「背後が見えない者は前も見えない」という言葉をホセ・リサールは残している。われわれは「健忘症」だ。植民地主義者に歴史を破壊され、生き残る手段として健忘症を使ってきたためだろう。無意識のうちに痛恨の歴史を忘れ、植民地主義のもたらした慈悲深さという神話が残された。。
迷宮を脱するには歴史をよりよく学ぶことだ。わたしもかつては植民地主義のもたらした神話を信じていた。初めて真の歴史を知ったときは、閉じていた目を開かれた思いがしたものだ。
歴史教育について二つ忠告をしたい。一つは歴史を退屈な暗記教育にしないことである。情熱と知性を持ち、歴史を魅力ある物語として教える教師が求められる。もう一つは希望だが、子どもたちに室外で歴史教育が補強されるような経験をさせて欲しい。実生活が国家の軽視に満ちているのに、教室で愛国を説いても限界があるからだ。(13日インクワイアラー、コンラド・キロス氏)