風化する戦跡公園
ルソン島西部リンガエン市
南シナ海沿いに南北に伸びるルソン島西部の海岸線が、途中から大きく湾曲している。パンガシナンとラウニオン両州にまたがるリンガエン湾。
日米両軍がいずれもここを上陸地点に選んだ太平洋戦争の戦跡だ。開戦直後の一九四一年十二月二十六日、本間雅晴中将率いる日本軍がまず上陸。以後三年半、フィリピンが戦場となった。そして四五年一月九日、反攻に転じた米比軍が、ここから同島に逆上陸した。
湾に面したリンガエン市の浜辺近くにパンガシナン州政府が管理する「退役軍人公園」と呼ぶ戦跡公園がある。「アイ・シャル・リターン」。この言葉を残して四二年二月、コレヒドール島から退却したマッカーサー極東米軍司令官が約束通りに戻って来たのを記念して造園された。
五百メートル四方の園内には、六一年七月に建立された記念碑がそびえ、日米両軍の戦闘機、戦車や大砲が展示されている。なぜか、どれも黒く塗られている。
郷土史家のレスティ・バサさんによると、七五年三月に運び込まれた時、戦闘機三機の主翼や胴体には日の丸が描かれ、二台の戦車も旧日本軍のものだという。対空砲二門は米軍が使用していたものだそうだ。
現在、展示されている戦闘機は一機だけ。それも九八年の台風で右翼が半分がもぎ取られたままの無残な姿。主輪のタイヤはパンクし、操縦席の風防ガラスも割れている。
公園は今、もっぱら近所の子供たちの遊び場になり、人影はまばら。警備員によると、平日の来園者は、せいぜい二十人前後という。
来月十五日で終戦から五十五年。公園の光景を眺める限り、さびついた展示品だけでなく、戦争を知らない世代が増えたためか、人びとの心の中でも、太平洋戦争は風化し始めたのではないか、と思える。
同市在住の漁師、ラモス・ロドリゲスさん(47)にその点を尋ねると、「戦争の歴史を消すことはできないが、怒りを感じることはもうない。同じ過ちを繰り返さないためにも、過去の事実を後世に伝えて行くことが大切」と話していたが‥‥。 (川村純子)