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1月11日のまにら新聞から

「民主主義は権威主義化する」 混迷のフィリピン政治を読む(前)

[ 2981字|2025.1.11|政治 (politics) ]

世界に先駆け独裁体制を倒した比の民主主義が「独裁者の息子」を大統領に選んだ理由を柴田氏に聞いた(前)

インタビューに応じる柴田直治氏=首都圏マカティ市で竹下友章撮影

 海外では同盟国・米国で第二次トランプ政権が始まり、国内では中間選挙と政権の折り返しを迎える2025年。混迷を深めるフィリピン政治を世界の潮流の中でどう読み解くべきなのか。40年近くにわたりフィリピン政治に向き合ってきた経験に基づき、昨年「ルポ フィリピンの民主主義ーピープルパワー革命からの40年」(岩波新書)を上梓(じょうし)した、ジャーナリストの柴田直治氏(朝日新聞元論説副主幹)に話を聞いた。前編となる今回は、世界に先駆け民衆革命を成し遂げたフィリピンの民主主義が、「独裁者の息子」であるボンボン・マルコス氏を再び権力に返り咲かせるまでの社会の変化に対する同氏の見方を紹介する。(聞き手は竹下友章)

 ―フィリピンとの最初の関わりは。

 86年2月にハワイに亡命したマルコス大統領の取材をしたのが最初。社会部の事件記者として、ハワイで逮捕された山口組幹部の取材をしていた時にマルコス一家がやってきた。東京から「マルコスにインタビューを取れ」と言われ、駆け回った。それに続き同じ年、ある暴力団員がマニラから持ち込んだ手榴弾を大阪空港上空の飛行機内で爆破させたタイ航空機爆発事件が起こった。その取材のため出張したのが初めての訪比だった。

 「ピープルパワー革命」と呼ばれたあの政変は、当時ものすごいインパクトがあった。日本のテレビはこのニュースにジャックされた。開発独裁体制が無血の民衆革命で倒された衝撃は世界に伝わり、フィリピンの後に韓国、台湾、タイ、東欧と民主化が続き、ベルリンの壁崩壊に至った。その意味で、フィリピンは民主化の先駆だった。

 94年に朝日新聞マニラ支局長として赴任した。その翌年、上院選に出馬したボンボン・マルコス氏(現大統領)にもインタビューしている。

 ―当時のボンボン氏の印象は。

 厳しい質問にも嫌な顔をせず対応する人だったが、一言で言えば「つまらない人」。強い野心や主張を感じず、「母(イメルダ夫人)に出ろと言われたから出ている」という感がありありだった。あまりに面白みがなかったので当時は記事化を見送った。

 それとは対照的に、政変20周年企画で06年にインタビューした姉のアイミー氏(現上院議員)は母譲りの饒舌(じょうぜつ)さで自分の置かれた境遇を冷静に把握している印象だった。弟より頭が切れ、「家長である弟を自分が盛り立てなくては」と自覚を持っているようだった。

 だから、弟の政権、そしてサラ副大統領との間に取っている現在の微妙な距離感も、計算してのことだと思う。マルコス対ドゥテルテの対立がさらに先鋭化してもマルコス家の利益にならないと考えているから、サラ氏の暴言にも忍耐を貫いているのだろう。

 ―アジアで先駆的な民衆革命を実現した比の民主主義が、独裁者の息子を大統領に選んだ。

 権威主義への回帰はドゥテルテ政権下で始まっている。警察権の乱用である超法規的殺害、司法を武器化したメディア弾圧、政敵レイラ・デリマ元司法相の長期拘束などがそうだ。マラウィ包囲戦(2017年)の際にミンダナオで布告した部分的戒厳令、戒厳令を思わせるようなコロナ下での強権的防疫規制には、故マルコス元大統領へのあこがれが垣間見えた。圧倒的な民意の支持や選挙での圧勝という民主主義的要素が、こうした権威主義的手法を手助けしたようにみえる。

 ドゥテルテ氏の高支持率の背景の一つには、「ポリコレ(政治的妥当性)疲れ」があると思う。この潮流は、米国ではトランプ大統領やブラジルでボルソナーロ大統領などのアンチ・ポリコレのリーダーを誕生させたが、ドゥテルテ政権はこれらに先んじて誕生している。

 アンチ・ポリコレの機運の根底には、エリートに対する大衆のうっぷんがある。フィリピンでもこれは顕著だ。民衆革命でもたらされた自由民主主義は、貧困や格差を存続させた。きれいごとを言い募る主要メディアは、一部のエリート層や財閥に支配されている。SNSの台頭は、こうしたうっぷんを汲み取り、既存メディアを叩く状況を作り出した。2016年の大統領選でドゥテルテを支持したセクシータレント出身のインフルエンサー、モカ・ウソンは既存メディアを「プレスティテュート」(プレスと売春婦を合わせた造語)と言って盛んに攻撃した。既得権にどっぷり浸るエリートへのこうした攻撃に大衆層は溜飲を下げた。こうして権力に批判的な情報を「フェイクニュース」として切り捨てる土壌が作られていった。

 ―SNSの影響をどう見る。

 SNS上の現象には、自然発生したものだけでなく、組織的な工作があることも見逃せない。第一次トランプ政権誕生に寄与したとされる米国の選挙コンサル会社(ケンブリッジ・アナリティカ)が、トランプ政権誕生以前にドゥテルテ陣営の支援を通じフィリピンをSNS工作の実験台にしていた、という趣旨の内部告発者の証言をネットメディア、ラップラーは報じている。2016年大統領選は、SNS選挙元年でもあり、ドゥテルテ政権は「デジタル権威主義」の先駆と位置づけることもできる。

 SNSでの組織的な工作活動は2022年の大統領選でも一層盛んに見られ、「マルコス(父)政権は黄金時代」だったという言説が広く流布し、対立候補のロブレド氏にはあらゆる誹謗中傷が飛び交った。一方で民衆の力で独裁政権を追放したという「ピープルパワーの物語」は、もはや神通力を失っていた。虚実ないまぜで流れ込むSNS情報が旧マルコス政権をどんどん美化する中、大衆層をいつまでも豊かにできない自由民主主義の理想は敗北した。

 インドネシアでは昨年、プラボウォ大統領が誕生した。開発独裁者スハルトの娘婿の彼は、軍高官として人権弾圧に関与していた過去を持つが、ティックトックで踊りを披露するなどSNS戦略を駆使して当選した。独裁時代を知らない世代の支持を得てボンボン氏が当選した22年のフィリピン大統領選との強い類似性を指摘でき、この地域で「権威主義のドミノ」の兆しが感じられる。

 民主主義と権威主義は併存するだけでなく、民主主義が権威主義を強靭化(きょうじんか)させることがあると指摘される。民主主義の行き着く先に、権威主義がありえるということだ。これは、第一次世界大戦後、極めて自由民主主義的なワイマール憲法下のドイツでナチスドイツが民主的に政権を取ったことを想起させる。ナチス広報担当のゲッペルスは、当時最新のメディアだったラジオを駆使してドイツ国民の心をつかんだが、現代ではそれがSNSということではないか。

 哲学者エーリッヒ・フロムは、人々が自由の負荷に耐えきれず権威主義に身を委ねていく現象を「自由からの逃走」と呼んだが、同様の現象が新たな形で再来していると言えるかもしれない。

(つづく)

 しばた・なおじ 19

55年生。早稲田大卒。朝日新聞マニラ支局長、アジア総局長、論説副主幹などを歴任。退職後は近畿大教授を経てフリーに。現在アジア政経社会フォーラム共同代表。著書に「バンコク燃ゆ:タックシンと『タイ式』民主主義」(めこん、2010年)、「ルポ フィリピンの民主主義ーピープルパワー革命からの40年」(岩波新書、2024年)。

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