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6月4日のまにら新聞から

新聞論調 良く言えば托鉢、悪く言えば売春 比と米軍駐留

[ 681字|2023.6.4|政治 (politics)|新聞論調 ]

米軍駐留を巡る比米関係は良く言えば托鉢(たくはつ)、悪く言えば売春のようなものだ

 91年、上院の12議員は当時のコリー・アキノ大統領の意に反し、米軍基地を追い出す決定を下した。47年に締結された比米軍事基地協定は元々99年間の米軍基地設置を規定していたが、度重なる改定により66年から起算して25年間に短縮されていた。その後、ラモス政権下で比米訪問軍協定(VFA)、ノイノイ・アキノ政権では比米防衛協力強化協定(EDCA)が締結された。

 基地返還が決まった91年、最大の論点は「資本主義帝国主義者を一掃して比が主権を取り戻す」というより、米国の経済的プレゼンスに関することだった。基地撤退前の改定米軍基地協定は84~88年に総額9億ドルの援助を約束していたが、米国側の手続きは比政府を苦しめ、多くの援助を引き出せない状況が生じていた。91年の改正条約案では米国は年間2億300万ドルの補償を提示したが、それは比政府の要求をはるかに下回った。

 私たちは「もっとカネをよこせ」と言った。米国は「ノー」と言った。上院議員たちは突然米国による主権侵害や朝鮮戦争・ベトナム戦争で中継基地となったことを訴える愛国者になった。

 旧植民地と旧宗主国の関係は良く言えば托鉢(たくはつ)、悪く言えば売春のようなものだ。ドゥテルテ前大統領はいみじくも「VFAを維持したいならカネを払え」と言った。マルコス大統領はEDCA施設を4カ所追加することに合意した。米国はそれに8200万ドル投資を行うことを確約した。災害救援の名の下に、米軍は台湾に面するルソン島最北の施設への巡回駐留を計画している。(5月31日・マニラタイムズ、NGO代表・リト・ロレンサナ)

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