「私は戒厳令の子」 東京で「ユニチーム」を支援
東京都千代田区で、ボンボン・マルコス元上院議員とサラ市長のペア「ユニチーム」を支援するパレード
東京都千代田区の日比谷公園から銀座方面にかけて27日、大統領選に立候補しているボンボン・マルコス(BBM)元上院議員とダバオ市のサラ・ドゥテルテ市長によるペア「ユニチーム」を支援する草の根街頭パレードが行われた。
参加者は主に日本の海外フィリピン人就労者(OFW)だが、日本人や外国人も少数ながら加わった。まにら新聞は、福島からのパレード参加者で、日本滞在が約35年に及ぶダイアナレイン・ハヴァさん(51)に、パレードやボンボン氏への思いなどについて聞いた。
ハヴァさんによると、今回の「BBM―サラ・ウィー・ユナイト・アズ・ワン・パレード」は先月にも行われたパレードに続く大掛かりなもの。「どちらも参加者は千人ぐらいいたと思う」と見積もる。主催したのは、MASADA(マルコス―サラ・ドゥテルテ連合)という比国内各地や国外にも拠点を持つ草の根ネットワーク。
ハヴァさんはユニチームの選挙カラーである赤と緑の自前で発注した服を着て、仲間たち6人と参加。途中で通行人から「何のパレードですか?」「マルコスがまた来るの?戻るの?」などと興味ありげに聞かれたという。個人で参加したOFWとも親しくなり、デモ後カラオケで打ち上げをした。その場にいた比人10人のうち、一番若くても42歳と年齢層は高く、大半がイロコス地域出身者だったという。
ハヴァさんはわずか8歳で家事労働者を始めながら高校を卒業し、16歳で日本へ。西ネグロス州バコロド市の実家には幼少時代、当時戒厳令を敷いていたフェルディナンド・マルコス大統領の写真が飾られていたのを覚えているという。「マルコスロイヤリスト(マルコスの熱心な支持者)の厳格な家庭で育ち、外に出ても恥ずかしくないフィリピン人としてしつけられた」と自負している。ハヴァさんは、自身を「戒厳令の子」と呼び、「あの時代は日本の昭和とよく似ていた」と懐かしく回想した。
日本でも周囲の70〜80代の人はこうした話に理解を示してくれるが、「60代の人からは親の時代の感覚だ」と言われると笑った。マルコス政権崩壊後は、父親の建設会社は倒産。そうした事情もハヴァさんのマルコス支持につながっている。「政権が変わってそれまでの歴史が変わるのではなく、歴史は継承されてこそのものだと思う」
▽ボンボン氏に境遇を投影
日本での差別などにもくじけずに生きてきただけに、マルコス家への強い風当たりを受けるボンボン氏には「同情を覚える」と語る。
一方でハヴァさんの娘たち4人は、ボンボン氏対立候補のレニー・ロブレド副大統領を支持。「彼女たちの時代だから、それは仕方がないこと。私は自分の信念に従って投票する」と付け加えた。
▽BBMページは多数登録
日本語や英会話を軸に人材派遣事業も扱う会社を起業して25年経った現在も、自宅にテレビはない。「必要な情報は主にフェイスブック上で得る。関心が強いビジネス以外で、新聞を読み比べたりする必要性は特に感じない」。その代わりBBMをサポートするページは多数登録し、中でも「シンキングピノイ」はとても勉強になるという。シンキングピノイは自らDDS(熱心なドゥテルテ支持者)を公言し、ユニチームを支持するレイジョセフ・ニエト氏が運営するページ。
▽キボロイ師の放送局が独占取材
またバヴァさんによると、パレード前日から各地の支持者が集まっており、その場に新興宗教団体「イエス・キリストの王国」(KJC)が所有する放送局SMNIのジャパン報道局のスタッフ約10人が同行していた。同報道局だけが日本におけるBBM支持の現状を追っており、ドキュメンタリー化の予定もあると聞く。
KJC教祖のアポロ・キボロイ師は、ドゥテルテ大統領の「宗教的アドバイザー」を務める一方、現在米国から比人女性らの人身売買関与の容疑で指名手配されている。
同報道局が報じたライブ中継の中には、パレード参加者に向け男性がメガフォン越しに「キボロイ師に感謝を」と呼び掛けると、参加者がそれに呼応して感謝を口にする場面が見られた。また別の4分ほどのクリップでは「私たち海外にいる普通のフィリピン人にもこうした機会を与えてくれてとても感謝している」などとデモ参加者からキボロイ師への直接の感謝が多数収録されている。(岡田薫)