米嫌いに祖母の体験も 同盟依存の脱却を模索
ドゥテルテの舵取り3・VFA破棄は大統領が判断した戦略的選択との見方も
2016年のドゥテルテ政権発足後、フィリピン外交は中国寄りに大きく舵を切った。ドゥテルテ大統領は既に中国を5回訪問、習近平国家主席との会談は8回に上る。一方で米国は一度も訪問していない。
大統領は就任直後の16年9月にラオスで予定されていた比米首脳会談前に国内の記者会見で、麻薬戦争についてオバマ大統領(当時)から懸念が示されるのではとの記者質問に怒りをあらわにし、フィリピン語で売春婦の息子と侮蔑する「プータン・イナ」という表現を使い「会議でののしってやるぞ」と息巻いた。
▽安倍首相の助言
首脳会談は中止に追い込まれ、米・ASEAN首脳会議も大統領は欠席、オバマ氏とは会わずじまいだった。同月、ドゥテルテ大統領はミンダナオ島駐留の米軍は「出て行かなくてはならない」とも発言した。
トランプ大統領との会談も17年11月の比でのASEAN首脳会議に合わせた1回だけ。トランプ氏は当初、訪比をためらっていたが、日米首脳会談で安倍晋三首相(当時)に「絶対に行った方がよい。2人はきっとウマが合う」と促され決意したとされる。
▽祖母から植民地体験
ドゥテルテ大統領は南レイテ州マアシン生まれ。父は政府職員、母は公立校教師だった。父の故郷、セブ島ダナオで幼少期を過ごし、4歳の時に分割前の旧ダバオ州に移住。その後、父は州知事も務めた。母がミンダナオ島北東部の北アグサン州出身で、父方の祖母はミンダナオ島中西部の先住民マラナオだ。
ミンダナオの住民は1898年の米西戦争以降、米国の植民地化に激しく抵抗し、弾圧された。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、大統領はその時代の体験を祖母から聞いて育ち「米国に憤りながら生きてきた」と報じている。
▽頼れぬ同盟
ドゥテルテ大統領は昨年2月、訪問米軍地位協定(VFA) 破棄の演説で「トランプ大統領からも破棄をやめるよう求められたが、断った。米国人は極めて無礼だ」と怒りをあらわにした。
だが、VFA破棄は感情的反発だけでなく、安全保障で米国は頼りにならず、比米同盟は不要と考えた戦略的選択だったのではないか。
比上院は1991年に「米軍基地存続条約」の批准を否決し、比駐留米軍は翌92年に全面撤退。その3年後の95年には比の排他的経済水域(EEZ)内の南沙諸島ミスチーフ礁を中国が実効支配した。98年のVFA締結は、米軍との演習再開で中国の進出を食い止めたい思惑があったが、2012年には中国にルソン島沖のスカボロー礁を実効支配され、VFA締結も実際の抑止力にはならなかった。
▽核戦争の恐怖
「中国の進出を止められたのは米国だけだったが、しなかった。だから米国は嫌いだ」。大統領は17年5月「米国は二枚舌だ」とも発言している。アキノ前政権を駆り立て、国際仲裁裁判所に中国の提訴を促し、比中関係悪化ももたらしたとみているようだ。
19年4月には北アグサン州での演説で大統領はこう言った。「米国はスカボロー礁を巡って中国と戦争をすることは『価値がない』と認識している」「米国は怖がっていた。もし中国が我々を攻撃し、米国が比の支援を決めれば、世界大戦になる可能性があることを知っている。もし核爆弾が爆発したら、この世界には何も残らない」
▽大統領の認識
南シナ海有事の際、米国は比のために中国と戦う意思はない。比も中国と戦争する力はない。中国とは対決せず、対話を続けざるを得ない。これが大統領の認識、中国融和策の根底にあるのではないか。
比は日本とは異なり、米国との同盟関係の中でも従属的な地位に甘んじることなく、独立と主権の確立のために努力を重ねてきた歴史と伝統がある。VFA破棄の決断について、平和軍事テロ研究所のバンラオイ所長は「米国に依存するのではなく、多くの国と仲良くした方がいい」という新しい外交方針を導入したとの見方を時事通信に披露している。(谷啓之)