略奪現場にも笑顔
赤ワイン差し出す被災者も
台風ヨランダ(30号)がビサヤ地方を通過した後の10日、ビサヤ地方レイテ州タクロバン市に入った。壊滅的な被害を受けた市内では家屋を吹き飛ばされ、親族を亡くし悲しみに暮れる被災者に数多く出会った。その一方で、大家族で支え合い、明るく笑顔で困難を乗り越えようとする、フィリピン人の心の強さも垣間見えた。記者が被災地で遭遇した、そんな「フィリピンらしさ」を報告する。
▽警官も見て見ぬふり
「外国人は絶対に1人で現場に行くな。ナイフを持っている者もいるぞ」。記者よりも1日早く現地入りしたという海外メディアの記者にそう忠告された。確かに被災地では治安の悪化が懸念されていた。「武装した集団が強盗をしている」「女性がレイプされた」「ナイフで脅された人がいる」。そうしたうわさを聞いたため、略奪行為が横行しているという市内の大型商業施設を取材した時は、安全を考え4人で向かった。
カメラを服の下に隠しながら、商業施設に近づくと、盗み出した商品を抱えている住民の人波を、整理する警察官がいた。確かに略奪が行われているが、女性や子供を襲ってまで、食料を強奪する人はいない。警官は略奪行為を見て見ぬふりのようだ。
兄が盗み出した食料品の見張りをしていたイボーン・エンフェルモさん(20)は「襲われたりはしませんよ」と、長い髪をなびかせ笑顔を見せた。エンフェルモさんと話しをしていると、大きなコメの袋をかついだ男性が近寄ってきて「おまえは誰だ」と詰め寄られた。日本人記者だと自己紹介すると、この男性は表情を緩ませながら「日本に報道するなら、かっこよく撮ってくれよな」と笑いながら、ポーズを決めた。
▽カネよりも水と食糧
食料と水不足が深刻化していた市内を歩くと「水をください」と何度も被災者に求められた。タクロバン空港前には、救援物資を待つ被災者の長蛇の列ができていていた。ヒッチハイクをしてお礼にわずかだが現金を渡そうとすると「水と食料はないけど、おカネはありますから」と受け取りを断る被災者もいた。
記者は別々にタクロバン空港入りした比人の同僚記者と10日午後、徒歩で一緒に市内に向かうことにした。合流した比人記者がうかぬ顔をしている。空港を出たところで、手に持っていた水の1リットル・ボトルを目ざとく見つけた被災者に囲まれ、「一口だけ」と言われて全部飲まれてしまったらしい。
人が良い彼は「家もなくし、水も飲めない被災者に頼まれたら断れないよ」と言いつつも、翌日からは水は手に持たず、いつも鞄に隠して持ち歩くようになった。
▽被災者にいたわられる
そんなこともあって2人が被災地に持ち込んだ水は、2日目には底を突いた。被災者のマリラウ・マアラさん(37)に話しを聞いていると「ご飯は食べていますか」と逆に聞かれた。炎天下でのどの渇きを少しでも抑えようと、食事も控えていたため「今朝から水以外は口にしていない」と答えると、マアラさんは「どうぞ、これを食べてください」とクラッカーを記者に差し出した。丁重に断ると、「体には十分に気をつけてくださいね」と逆にいたわられた。
がれきの中から木材とトタン屋根を集めて、掘っ立て小屋を作る被災者を取材していたら、作業の休憩中に「これを飲め」と赤ワインを勧められた。どこから手に入れたのか、何度聞いても答えないので、「仕事中なので、すみません」とお断りした。
▽東北とフィリピン
街中にがれきが広がるタクロバン市内を歩きながら、2011年に取材した東日本大震災の被災地の風景が浮かんできた。同じ被災地でも、東北と比では子供の数が違う。比では、1家族20人が木陰で一休みしている場面にも遭遇した。壊滅的な被害をうけた町並みを走り回り、笑い声をあげる多くの子供たちに出会った。
一方で、住民同士で冗談を言い合いながら支え合う被災者の姿は、復興に向けて奮闘する東北の人たちと重なった。被災者に赤ワインを勧められた時、岩手県でも日本酒を「飲め」と勧められたことをふと思い出した。(鈴木貫太郎)