台風ヨランダ(30号)
被災地へ2 ガソリン、コメが高騰。物資配布は1度だけ。憤る被災者たち
船上にずらりと並んだ席に座る乗客の顔は疲れきっていた。夜の海の遥か向こうに、黒々と大きな陸地が見えていた。15日午後10時ごろ、ルソン地方ソルソゴン州マトゥノグ町から、ビサヤ地方北サマール州アレン町の港へ向かう船の上は静かだった。突然、アナウンスの声が静寂を破るように聞こえると、乗客はぞろぞろと船べりに移動し、船の進む先を見つめた。港が近づいていた。14日午後3時半ごろに首都圏を出たバスは、約31時間かかって、ようやくサマール島の地を踏んだ。
バスの中でまどろんでいてうっかり、下車する予定だったサマール州の州都カトバロガン市ブライを乗り過ごしてしまった。仕方なく、次のビリヤリアル町で降り、逆方向のバスを待つことにした。16日の最終目的地、東サマール州の州都ボロンガン市へは、ブライから直行のバンが出ているはずだ。
ブライ行きのバスに乗っている間、多くの乗客を乗せたバスを数台追い越した。「タクロバンやサマール島の被災地から多くの住民がバスでマニラに避難しているのだ」とバスの運転手が説明してくれた。
午前8時半ごろ、ブライに着いた。住民にバスの乗車場を尋ねると、「バスはもう出た」という。途方に暮れていると、大きな荷物を抱えた5人がトライシクルの相乗りを勧めてくれた。5人はカトバロガン市まで買い出しに行った帰りだった。道中、「東サマールの南海岸線のほとんどの町が台風で被災したと聞いている。特にギワン町やヘルナニ町は多数の死者が出ている」と教えてくれた。
サマール州では使えた携帯電話が、東サマール州に入った途端、急に途切れた。スマートとグローブの回線がつながらなくなっていた。トライシクルは山を抜けて、海辺に出た。そこでさらにバスに乗り換えて、海岸線を南下していく。進むにつれて、海沿いに全壊した民家の数が増えていく。記者は台風ヨランダ(30号)の爪痕に息をのんだ。ところが相客はすでに見慣れてしまったのか、冗談を飛ばし合っている。
正午ごろ、ボロンガン市内に着いた。市内での被災はさほどでなかったが、それでも死者8人を数えていた。ところが台風の後、食料やガソリンの入手が難しくなっており、特にガソリンは台風前の1リットル58ペソから150ペソと、3倍近くに跳ね上がっていた。コメも1キロ40ペソだったのが、70ペソに値上がりした。ガソリンや食料が、ギワン町やレイテ州タクロバン市といった特に被害が大きい地域に優先的に送られているためだという。市内にある州庁舎の入り口には、多くの人が座り込んでいた。台風の後、一帯で停電が続いているが、自家発電設備のある州庁舎では電源が使える。延長コードを手に、携帯電話や懐中電灯を充電しているのだった。
海岸線へ出てみると、複数の民家が倒壊していた。住居をなくした住民の一人、クリストファー・バイロンさん(32)は、台風が直撃した8日午前5時ごろ、風が強くなったので、妻(30)と2人の子供を連れて、自宅の隣にある父親の石造りの住居に避難した。間もなく勢いを増した烈風が、木造の自宅を土台からすくい上げるように吹き飛ばすのを目の当たりにしたという。
ボロンガン市の被災者には、11日にコメ1キロと缶詰などの支援物資が1度だけ市当局から配られたが、それ以降は1度も支援物資の配布はないという。「ボロンガン市の住民は毎日のように、ギワン町方面に支援物資が運ばれているのを見ている。私たちは1度しか支援を受けていない」とバイロンさんは言う。被災地への物資配布に優先順位が付けられることによって、比較的被害の少ない地域に物資が行き届かなくなっている。その結果、飢えなくても良い地域まで飢え始めているのが現状のようだ。
「たった1キロのコメを家族4人で分けて、どうやって生きて行けるのか」。バイロンさんは顔をしかめた。(加藤昌平)