台風ヨランダ(30号)
被災した田村忠義さんが、マニラ新聞の電話取材に応じ、台風襲来時の様子を語る
台風ヨランダ(30号)により被災した田村忠義さん(39)=兵庫県出身=が15日、マニラ新聞の電話取材に応じ、台風襲来時の様子を生々しく語った。2009年10月に比に移住し、ビサヤ地方レイテ州ドゥラグ町で農業を営んでいた田村さんは、台風襲来後、家に蓄えていたコメやイモを食べ、飲み水は井戸水を飲み、6日間を生き延びたという。
田村さんによると、8日午前5時半ごろ、突如、風が強くなり、約4時間も暴風雨が続いた。浸水被害は少なかったが、自宅の屋根は吹き飛ばされた。直径約40センチ、長さ約10メートルのヤシの木2本が家の中にまで飛ばされてきた。付近には、跡形もなくなった家もあり、田村さん宅には、妻ポルシアさん(39)と息子の千畝くん(5)のほかに、付近の住民約30人が避難した。
風雨が弱まった間、がれきの下に生き埋めとなった、16歳の女性を救助し、自宅に運んだが、口から何度も血を吐き、そのまま帰らぬ人となった。
台風直後から通信が遮断されたため、外部への連絡はまったくできなかった。田村さんは14日、妻、息子と共に、同町からセブ州に避難することを決意。避難前には、もみ9トンを妻の親族に、3トンを近所の住民に渡してきた。
ヒッチハイクをして15日、レイテ島西部のヒロンゴス町の港までたどり着いた。所持金は1万5千ペソ。下着も限られた数しか持っていない。
セブ市行きのフェリー乗り場は被災者で大混雑。約1日待って、15日午後8時半ごろ、ようやく乗船できた。セブに着くのは夜中のため、港の付近で夜を過ごし、明け方から安宿を探すという。田村さんは電話口で「1〜2カ月したら、ドゥラグ町に戻って農業がしたい」と気丈に話したが、その声には緊張の連続でたまった疲労が感じられた。