台風ヨランダ(30号)
被災地へ1 被災者の親類らと共にバスで被災地へ。出発から27時間後もサマール島に渡れず
台風ヨランダ(30号)のビサヤ地方横断から15日で1週間が経過した。レイテ州タクロバン市の被災状況がクローズアップされる一方で、最初の上陸地となったサマール島3州の被災状況に関する情報はほとんど伝わってこない。そこで、記者は14日午後、長距離バスに乗り、同島の被災地へ向かうことにした。首都圏からビコール地域、サマール島へ向かう道中、そして被災地の模様をリアルタイムで報告する。
14日午後2時半。首都圏パサイ市にある長距離バスの発着所には、サマール、レイテ両島に、援助物資を運ぼうとする被災者の親類らが殺到していた。ビサヤ地方レイテ州の州都タクロバン市行きのバス車内は、通路に米袋や段ボール箱など、乗客が用意した援助物資がぎっしりと敷き詰められていた。その上を乗り越えながら、空いている席に着く。乗客はみな不安そうな様子を隠せない。何時出発か尋ねると「2時半だ」という。しかし、バスは3時になっても発車しなかった。
9日にビサヤ地方を襲った台風が通り過ぎた翌10日にバス会社はすでに営業を再開した。チケット売り場の販売員によると、首都圏ケソン市クバオ地区と同パサイ市にあるバス発着所では、各バス会社がタクロバン行きのバスを増便。乗客数は通常に比べ5倍に膨れ上がったという。
午後3時過ぎ、バスの添乗員がようやく姿を見せると、あちこちから「いつ出発するんだ」とのいら立ちの交じりの怒号が聞こえてきた。乗客たちは被災地に残されている家族が心配で、気が急いているようだ。添乗員は「満席になるまで待つ」という。結局バスは、数席を空けたまま3時半にパサイ市を出発した。
乗客の一人、ジェリック・パッチョさん(28)はタクロバン市に弟と、妻の家族がいる。台風以来、連絡がつかなくなった。父母と妻は首都圏にいるが「家族の中で自分が代表して、タクロバンに物資を運ぶことにした」。乾麺(めん)、ビスケット、缶詰を持てるだけ持ってきたという。
ノーリン・カブレラさん(39)は息子のフランシスさん(20)とタクロバンに向かう。連絡のつかない父母や6人のきょうだいを探しに行くという。「長旅だから食料は持って行かない。とにかくみんなが無事かどうかを確かめたい」と表情を曇らせた。
いつの間にか、外は暗くなっていた。バスは夜の田園を走る。午後7時ごろ、ルソン地方ケソン州ルセナ市の食堂に停車し、食事をとる。腹が膨れると、緊張していた車内の空気が緩んだ。バスに乗り込んで、聖書の一説を唱えながら寄付を求める女性信徒に乗客が「一緒にタクロバンに行くか」と尋ね、笑いが起きた。
夜が明けて、15日午前5時半ごろ、同地方ソルソゴン市で、警官5人が検問しており、バスが路肩に止められた。乗客が数人外に出て警官に理由を聴くと、ソルソゴン州マトゥノグ町のサマール島行きのフェリーが出る港で、同島に入る車両が渋滞しているという。特に政府の援助物資を積んだ車両を優先するので、民間バスは後回しにしていると警官は説明した。乗客の一人が「我々も家族への援助物資を運んでいるんだ」と警官らに訴えていた。
後続のバスも数台、検問所の路肩で停止させられた。その中に、ビサヤ地方東サマール州ギウアン町に行くバスがあった。首都圏のギワン出身者グループがバスを1台借り切って、物資を運ぶ途中だった。台風前に偶然首都圏にいた同市長が首都圏の同市出身者から物資を集め、有志43人で同市に入るという。
同市は、東サマールの被災地の中でも、大きな被害を受けている。被災から6日経った現在も通信がつながらない。比赤十字社が用意した衛星電話で1分だけ家族と話しができた女性によると、多くの家屋が風で吹き飛ばされ、市庁舎も全壊しているという。ルイサ・オガレさん(57)は、兄といとこ数人が同市にいる。兄は75歳と高齢なので、心配だという。「テレビではタクロバンのことばかりでサマールの情報が全くない。政府の支援も一部に集中していて、ギワンには食料も水も届いていない。私たちは犠牲になっている」と嘆いた。
バスはその後、午前9時半ごろに検問所を出発した。ところが、その後も検問所がいくつも並び、数十分走るごとに数時間止められるという状況が続いた。なかなか進まないバスに、軽いヤジが飛んで笑いが起きる。長旅を共にする乗客同士、心は一つになっているようだ。
台風前は、約1日で記者が目指す東サマール州の州都ボロンガン市に入れる道のりだが、出発から約27時間経った15日午後6時現在、バスはマトゥノグ町に着いたばかり。目的地までは約220キロ、あと6時間はかかるという。被災地までの道はまだ遠い。乗客たちの不安と焦りは増すばかりだ。(加藤昌平)