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1月31日のまにら新聞から

武装共産党員に恩赦を 「ディリマン」の教訓

[ 632字|2021.1.31|社会 (society)|新聞論調 ]

 今でも多くのフィリピン大卒業生にとって「ディリマンの戦い」(1971年2月)は、影となって付いてくる。

 差し迫った戒厳令を前に、穏健派と強硬派の活動家たちが同大ディリマン校のキャンパスをバリケードで固めて「ディリマン・コミューン」を宣言した。

 その日早朝、車で大学内に入るのを阻止された同大教授が、学生と乱闘になった末、散弾銃で学生を撃った。午後には首都圏の警察予備隊がオブレーション像に通じる正面から侵入を試みた。活動家数百人が戦いに備えてトーチカを築き、火炎瓶を蓄えていた。中には銃で武装する者もいた。

 むろん装甲車を背にした重武装の治安部隊にはかなわず、大勢が逮捕された。大学で予備役軍事教練(ROTC)を指導する教官が、背中に銃弾を受けて半身不随になり、女子寮のベッドの下やトイレからも学生は引きずり出された。

 左派系の過激学生の多くは戒厳令発令後、比大から姿を消した。政権が手を下した失踪者については闇に葬られたが、残った活動家は他大学の学生も含め、大群を成して山中へ向かった。

 ドゥテルテ大統領が和平交渉を打ち切ったことで、大学内での共産主義者勧誘が再び活発になった。国軍による攻撃的な態度は、若いNPAの新兵、特に自らをイデオロギーに捧げる決心をした者に対する抑止とはならない。

 今は誰もが一番大変な時代だ。大統領が人間的な感覚を抱き、武装した共産党員に対する恩赦を宣言することを祈ろう。(27日・マラヤ、ドディー・ラクナ)

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