法律としての必要性
最高裁によるサイバー犯罪取締法の一時差し止めは、私を含め報道業界に身を置く多くの人々にとって、喜ばしいニュースだった。私は熱心なネチズンではないし、フェイスブックやツイッターを活用してもいない。しかし、白熱する議論の中で、法律全体が嫌悪の対象になっているのが残念でならない。
この法律は、児童ポルノや個人情報の窃盗、オンライン詐欺など、多様なサイバー犯罪に対応すべく成立した。既存の法律では、コンピューター関連の犯罪に対し、相応の罰則を伴う取り締まりができない。それなのに、表現の自由を脅かすかもしれない一部条項が原因で、法律全体が差し止められた。
この法律が発効すれば、助かる人が多くいる。実際、そんな少年がいる。この少年はハッカーからサイバー攻撃を受け、フェイスブックに「エイズ感染者」と書き込まれてしまった。その結果、少年のアカウントには彼をからかったり、批判するコメントが殺到した。少年はアカウントを削除するほかなかった。しかし、もう手遅れで、家族や友人ははすでに少年の人格や健康状態に疑念を持つようになっていた。犯人は不明のままである。
「オレオレ詐欺」などオンライン詐欺も多い。私もその種の電子メールを受け取ったことがある。私にはだまされない知恵があったから助かったけれども。
先ごろ「アノニマス・フィリピン」と名乗るハッカー集団が政府系サイトを攻撃した。サイバー法への「抗議」と言うけど、多くの市民が迷惑するわけだから、悪意の仕業にほかならない。覚えておくべきことがある。民主主義が与える表現の自由は、他人の権利や自由を踏みにじることを許さない。(11日・マラヤ、ロメオ・リム氏)