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シリーズ・連載

戦後60年 慰霊碑巡礼第3部ルソン編

第1回 ・ 結び直された縁

 旧日本軍戦没者の慰霊碑を守り続けて約四十年。クリスティーナ・ラミレスさん(80)=北部ルソン地域パンガシナン州ウルダネタ市=には、若き日の秘めた思い出がある。

第2回 ・ 桃源郷の骨肉の争い

 首都圏から真北へ直線距離で約百六十キロ、米軍再上陸地点のリンガエン湾から真東へ約五十キロ。太平洋戦争末期の激戦地「サラクサク峠」は、ルソン島北部へ連なるコルディリエラ山脈の入口に位置する。  

第3回 ・ 伝承される軍の非行

 太平洋戦争の初期、日本軍と米・比両軍が死闘を繰り広げたルソン島中部バタアン州サマット山。ふもとのピラール町ディワ・バランガイ(最小行政区)に「比島戦没者慰霊碑」が建つ。山頂へ向かう道路の右側、わずかに斜面になった場所で、金網で周囲を囲まれた高さ約一・五メートルの碑だ。背後には「昭和五十七年四月十日、野戦重砲兵第一総隊...

第4回 ・ 思い出引きずって

 ルソン島中部タルラック州バンバン町。ヤシの木、水田、イモ畑を縫う田舎道に真っ赤な鳥居が突然現れた。神風特攻隊を指揮した大西瀧治郎海軍中将の慰霊碑が立つ。後ろの斜面を上ると、すぐ第一航空艦隊司令壕(ごう)跡が黒々と口を開けている。特攻機が飛び立ったパンパンガ州マバラカット町から北へ車で約十分だ。

第5回 ・ 虐殺被害者の声なき声

 その事件が始まったのは、米軍がマニラを奪還して約十日後、一九四五年三月四日午後十一時すぎだった。ルソン島バタンガス州リパ市ルンバンの全住民約千人が川の土手や斜面に集められ、男性は後ろ手で縛られ、女性も逃げられないよう数人ずつひもでつながれた。

第6回 ・ 祖父は日本人:イフガオ州の故坂井治太郎さんの子孫は、旧日本軍から住民を救った祖父が誇り

 緑の美しい棚田が視界の続く限り、一面に広がるルソン島北部イフガオ州のキアンガン町郊外。その一画にある寂れた墓地に、太平洋戦争の前、戦中そして戦後をこの地で生き抜いた一人の日本人の墓が建っている。日本軍に協力した「過去」を持つと同時に、地元民の多くの命も救ったこの日本人の名前を、住民たちは今も記憶にとどめている。

第7回 ・ 荒れ寺の問い掛け

 フィリピン国内の対日感情が幾分和らいだ一九七〇年代、首都圏に隣接するルソン島ラグナ州に戦没者慰霊の場が「官」と「民」の手で相次いで建立された。五八年の日本政府遺骨収集団の初来比から十余年。収集作業が歳月の壁に突き当たる中、遺族の間では夫や兄の遺骨が眠る地で慰霊をとの思いが高まっていた。