イエス・キリストが磔刑(たっけい)に処された日を記念する聖金曜日の18日、パンパンガ州サンフェルナンド市サンペドロクトゥドで、伝統の「マレルド」(パンパンガ語で聖週間)の中のハイライトとなる受難行事が執り行われた。むち打ち刑を受け、十字架を背中に背負ってゴルゴダの丘を登り、十字架に掛けられる受難をもって贖罪(しょくざい)を行ったとされるキリストに因み、地区の男性たちは、鮮血を流しながら自分にむち打ち、十字架を背負って町中を練り歩いた。また、行事の最後には、受難を再現した劇で、実際にキリスト役の男性らが手に釘を打ち付けられ、十字架に掛けられた。
実際の流血と負傷を伴うかたちでの受難の疑似体験という世界でも極めて稀なこの行事は、カトリック教会非公認。それを目撃するため、200人近くの欧米人を中心とした外国人ツアー客を含め、約1万人(市推計)の観光客が同市に詰めかけた。炎天下の行事のため、熱中症の症状で外国人客含め45人が治療を受けた。
▽鮮血の行列
サンフェルンナンド市バスターミナルから南東に約6キロ。素朴なバランガイ(最小行政区)の中から、白く太陽を照り返す広大な広場が表れた。その奥にはゴルゴダの丘を模した人工の丘が設けられている。早朝から警察官や市職員が待機している。
職員のテントで手続きを待っていた午前8時過ぎ、ピシャ、ピシャ、というような音がリズミカルに聞こえる。丘へ続く道をみると、バンダナで覆面し、いばらの冠を模した物を被った上裸の男の一団が、変わったむちで自らの背中を打ちながら丘を登っている。綱の先に15センチ程度の竹片を20数個個付けたこのむちは、地元の言葉で「ブリリョス」といわれる。「ペニテンシャ」(ざんげ者)と呼ばれるこの役目に志願した男たちは、あたかも風呂上がりにタオルを体にたたき付ける中年男性のように、ブリリョスを左右から背中に打ち付ける。
その赤銅色の背中は、ペンキのような鮮明な赤に染まっている。本物の血なのか信じられないくらいだ。だが間近で見ると確かに傷口から血が流れ出、周辺では茶色く凝固している。
自身をむち打ちながらバランガイを練り歩いてきたペニテンシャ達は複数人で、また同伴者を伴いながら間欠的に丘にやってくる。十字架の前でひざまずき、その後腹ばいになると、同行者がビリリョスや竹の棒でさらに打ち据える。同行者らはしっかりその模様をカメラに収める。それが終わると男たちはいばらの冠を丘の上の十字架に捧げ、去っていく。
▽「願掛け」と「みそぎ」
男たちがこの苦行を「パナタ」(誓願)のために行う。丘の上で同行した友人たちからひときわ強いむち打ちを受けていたポールジョン・パシリャさん(21)は、「母親の健康のため」と語った後、笑顔で記者と自撮りする友人を脇に置き、帰っていった。理由は他も同様で、レイモンド・クシムさん(31)は、「両親とみんな長寿のため」。ジョン・ケレンさん(19)は、「母親の長寿のため」。
そんなペニテンシャの群れの中、自らを罰するように、ひときわ自分へのむち打ちの強い男性がいた。午前9時半すぎ、険しい表情で竹の棒を持ち、あるいは携帯で撮影しながらその男性に同行する若い男女は、男性の娘と息子だという。かれらに志願理由を聞くと、「家族が壊れてしまった。(別れた)母のために父はペニテンシャに志願した」と教えてくれた。この「ざんげ」の映像を母に見せて、復縁を懇願するということなのだろうか。丘の頂上で、まだあどけなさの残る息子は父の命に従い、炎天下で熱せられた地面に腹ばいになるその父の肢体を、ブリリョスで、竹の棒で、時には足で、容赦なく打ち、苛(さいな)む。帰り際、父親(37)に「あなたのパナタは何か」とたずねると、「家族のためだ!」とだけ言って去っていった。
▽実際に打ち込まれる釘
午後1時過ぎ。1955年以来の「伝統」という受難劇が始まる。ローマ兵役の男たちは、マリア役の女性らが泣き叫ぶなか、キリスト役のルーベン・エナヘさん(64)に十字架を運ばせ、むち打ち、足蹴にし、嘲笑する。そして、十字架に乗せた後、実際にその両手、両足に釘を打ち込んだ。特別テントから観覧していた外国人ツアー客は炎天下に身を乗り出し、痛みで絶叫するエナヘさんに携帯のカメラを向ける。今回はキリストの横で磔(はりつけ)にされた罪人役のアーノルド・マニアゴさんも両手に実際釘が打ち込まれた。15分間の磔の後に劇は終わり、直後に医療班がエナヘさんを担架に乗せて運び去った。
ツアー客として参加したアイルランド人のマイケル・マギーさん(29)は、「こんなに激しいカトリックの苦行はもう欧州にはほぼ残っておらず、米州の一部やフィリピンでしかみられない。今回はこれを見るために来比した」と語った。
塗装工のエナヘさんは約40年前、建設現場から転落したにもかかわらずほとんど無傷で済んだことを契機に、主に感謝を捧げるために劇中の磔刑の志願者となってきた。1986年以降、コロナ禍で開催が見合わされた3年を除き磔刑を受け、今回で36回目。だが近年は老齢のために引退の意向も表明していた。演劇後の会見では、「途中でめまいがした。これまでも引退したいと思ってきたができなかった。でもこれが本当に最後の最後だ」と表明。「今回も引退を撤回し、磔に志願したのはなぜか」とのまにら新聞の質問に、「われわれの体の強さを実演するためだった。われわれは木のように強く、成長できる」と述べ、その上で、24回共に磔にされているマニアゴさんを「私の後継者だ」と指名した。
市の資料によると、むちうち苦行が比に持ち込まれたのは16世紀後半。スペイン人宣教師ディエゴ・デレオンが懲罰道具のむちを持ち込んだ。この受難劇(ビア・クルシス)が始まったのは1955年。サンペドロクトゥド出身のアマチュア戯曲家リカルド・ナバロが手掛け、劇の指揮は息子、孫、ひ孫に引き継がれた。
劇中で実際に釘を打ち込む磔が初めて実演されたのは61年。パンパンガ州アパリト町出身の「祈祷療法士」アセンリョ・アノザが行った。翌年にはサンペドロクトゥドで上演。それが今日につながっている。91年のピナトゥボ火山の大噴火の翌年には、二度と噴火しないよう願う多くの人々がむち打ち苦行に参加した。(竹下友章)