Logo

07 日 マニラ

32°C25°C
両替レート
¥10,000=P3,800
$100=P5,890

07 日 マニラ

32°C25°C
両替レート
¥10,000=P3,800
$100=P5,890

戦争の記憶を紡いだ夜 60年の歩みつないだ2人(前)

2025/9/5 社会
カリフラワーの開花状況調査の様子。画面右から西さん、西さんの助手=西伸一郎さん提供

元青年海外協力隊の西伸一郎さんに、1970年代のボランティア経験をインタビュー。日本への警戒心が強く残りつつも、少しずつ歩み寄る最中での、フィリピン人と西さんの交流

1965年の青年海外協力隊(JOCV)フィリピン事業開始から、60年が過ぎた。多くのボランティアがフィリピンに渡り、日比友好の懸け橋を少しずつ築いてきた。元JOCV隊員の西伸一郎さん(78)=岡山県出身=は、戦争体験がまだ身近な時代のボランティア経験者だ。

 西さんは1971年12月から1975年4月にかけて、19次隊フィリピン16バッヂとしてJOCVに参加。当時のフィリピンは、日本との協力関係構築に向けた動きがありつつも、戦争の記憶と日本に対する強い警戒心が残る時代だった。1974年発効の日比友好通商航海条約は、1960年の署名から効力を持つまでに14年の年月を要した。

 バギオ市の農業省殖産局農業試験場で、西さんは野菜栽培に携わった。州内で生活する農家に、キャベツや白菜、カリフラワーなどの栽培技術を教えた。カラシナ、ペチャイ、エンドウ豆の採種や、種芋、種子生産試験も行った。カウンターパート助手と2人で作業にあたり、農家を巡回する日々。西さん自身が作業を実践し、身振り手振りで比人に知識を伝え、言語の壁を乗り越えた。

 ▽身近な日本軍の爪痕

 「過去の戦争については忘れるが、戦争や日本が犯したことは忘れないようにしてくれ」。現地の人々と戦争の話をした時の一言が、西さんの記憶に印象深く残っている。

 西さんのボランティア当時は、戦後わずか25年。地域の人々と戦争の話をすると、知人の家族が日本軍に殺されたと語る比人も多かった。このため、西さんはバギオ以外では目立たないように意識した。「日本人か?」と聞かれたら、タイやモンゴルなど、日本人以外の人種を答えた。

 着任から半年後、現地の人々とのコミュニケーションに慣れてきた頃だった。西さんは助手の実家に3日間滞在し、夕食後に助手の父親から戦時体験を聞いた。助手の父親は、兄弟と叔父が日本軍に殺されていた。自身も、元抗日ゲリラとして、何人もの日本兵を殺してきた。

 「お前のフィリピン人を見る目は、戦争中の日本兵とは違う」。助手の父親が西さんに語った一言には、日本軍と対峙した悲しい記憶と、日比の人々がともに歩み始めた友好の萌芽が、ともにあった。(宇井日菜)

おすすめ記事

PNP、集会対応で約1万人を動員 リサール公園の宗教集会で警備強化

2025/11/7 社会 無料
無料

PNP、沿岸警備隊などと連携 台風「ティノ」被害への対応続く

2025/11/7 社会 有料
有料

被災しながら職務遂行 PNP「今度は組織が助ける番」

2025/11/7 社会 有料
有料

人身取引被害者の帰還支援 政府機関が連携、222人帰国へ

2025/11/7 社会 有料
有料

介護「2割負担」拡大が焦点 制度改正へ議論本格化、厚労省

2025/11/7 社会 有料
有料

裏口から不法出国の比人女性4人 性的搾取被害後に帰国、BIが発表

2025/11/7 社会 有料
有料