バタアン州ピラール町サマット山の国立霊廟(れいびょう)で9日、バタアン半島で1万人以上の死者を出す激戦のすえ比米軍が旧日本軍に敗れ、「死の行進」と呼ばれる過酷な捕虜移送が始まった「勇者の日」を記念する式典が開かれた。83周年の今年は、マルコス大統領、テオドロ国防相、日本からは遠藤和也大使、米国からはロバート・ユーウィング次席公使が出席したほか、ブラウナー国軍参謀総長、比沿岸警備隊(PCG)のガバン長官、国家警察のマルビル長官や、各国の外交使節団が参席。参加した約1000人が戦没者に哀悼の意を示すとともに、平和への誓いを新たにした。
日米政府の代表と共に霊廟に献花を行った後、マルコス大統領は演説で、「比人、米国人だけでなく、バタアンで戦った全ての人々の英雄的行動をたたえる」と強調。「恐ろしい苦難を通じて学んだ教訓は、戦争の解決はさらなる戦争でなく、平和しかないということ。名誉ある平和は、一人の人間、一つの国だけでは達成できず、様々な当事者が結集し声を上げることで実現する」と訴え、世界各地で続く武力紛争を念頭に「多くの国がこの教訓を学んでいないことを残念に思う」と語気を強めた。
▽歴史の直視が友好の基礎
遠藤大使はスピーチで、「歴史を直視し、あの暗い時代になされたことと犠牲を振り返ることで、相互尊重・理解・信頼に基づく、パートナーシップの基礎を築くことができる」とした上で「日本は過去80年間、誇りを持って平和国家としての道を歩んできた。二度と戦争の惨禍を繰り返さないという決意のもと、あらゆる機会を捉え永続的な平和をもたらすために、引き続きあらゆる努力を続ける」と平和への決意を表明した。
また、在任1年の間に、コレヒドール島への訪問、レイテ湾上陸作戦80周年記念式典への出席、第二次世界大戦フィリピン退役軍人協会の年次総会への出席などを通じ、「平和への誓いを新たにすることができた」と報告。「かつて紛争によって分断されていた日本、フィリピン、米国は、今や同盟国でありパートナーとして結束している。われわれは二国間協力の強化のみならず、三国間協力の深化にも尽力している」と述べ、「これは、広範な意義を持つ継続的な成果だ」と強調した。
▽新たな軍事訓練
ユーウィング米次席公使は「1942年1月から4月にかけ、比人と米国人は比史上最も激しい戦闘の一つを共に戦い抜き、多くの兵士が殉職し、生き残った兵士は死の行進を強いられた。しかし比米軍は勇敢に戦い続け、3年後に比を解放し、戦後も共に復興に取り組んだ」と振り返った上で、「この戦中・戦後の共通の経験が両国の揺るぎない絆となり、鉄壁の同盟の礎になった」として比米同盟の歴史的文脈を強調。「比米同盟は太平洋地域における安全保障の柱となっている。ヘグセス国防長官が先日述べたように、米国は同盟の強化を進める新たな措置を講じる計画だ」と表明し、今月開始する年次比米合同軍事演習「バリカタン」で、最先端の無人水上艇や「高度な戦闘能力」を取り入れた「新たな焦点の訓練」を行うほか、「比最北部のバタネス諸島で初めての特殊部隊訓練を実施する」と明らかにした。
▽日本人への恨みない
会場には約400人の退役軍人が列席し、その中には太平洋戦争に従軍経験を持つシプリアノ・フロレンドさん(99)の姿もあった。式典では退役軍人を代表して平和の鐘をならしたフロレンドさんは、式典後に記者団に対し、かすれる声を振り絞って対応。「戦争中の苦難を今も思い出す。この国、われわれ国民が、戦いを通じて戦争の惨禍から救われたことは決して忘れてはならない」と語り、戦時中で最も困難なことは「食料不足による飢えだった」と振り返った。
バタアン州で軍務に就きながら、当時若年のため兵站(へいたん)を担い、バタアンの激戦には直接参加しなかったというフロレンドさん。「日本への恨みはあるか」との質問には、「もうない。個人的には残虐行為を受けたことはない。彼らの中にもいい人はいた」と語った。「訪問部隊の法的地位に関する条約の締結を通じて、日本の部隊が再びフィリピンの地に足を踏み入れようとしていることをどう思うか」との質問には、「もうわれわれは戦っていない。受け入れられる」と答えた。(竹下友章)