民衆運動が旧マルコス政権を倒した「エドサ革命」(アキノ政変)が起こって39周年を迎えた25日、首都圏ケソン市のエドサ通りを多数の学生や市民が埋め尽くし、世界に先駆けた無血の「ピープルパワー革命」を顕彰した。また参加者らは、サラ副大統領に対する即時の弾劾裁判の実施など現在の諸課題についても声を上げた。首都圏警察ケソン市本部によると約6000人が参加。集会を主催する団体の一つで、旧マルコス政権への抵抗のために組織された左派系市民連合バヤンは約1万人が集まったと発表した。
23年の集会は警察発表で1400人、24年は主催者発表で5000人弱であり、今年の集会は現政権下で最大規模とみられる。首都圏のカトリック系大学が50校以上休校を宣言しており、参加者の多くが学生だった。国立ポリテクニック大は休校にならなかったため、学生団体は抗議のために授業をボイコットしてキャンパスを練り歩き、その後エドサ通りに向かった。首都圏警察は941人の職員を配備しその監視に当たった。
39年前にマルコス政権に半期をひるがえし国軍本部に立てこもったラモス国軍副参謀総長(後の大統領)らを守るために、武器を持たない人々が盾となった道を歩いた学生らは、「きょうが休日に指定されていないことは懸念すべきこと。この出来事を記憶に残すことは私たちの責任だ」と口ぐちに語った。
バヤンのパラティノ事務局長は「今日多様なグループの『ユニティー』(団結)が実現したのは、マルコスJr政権の腐敗と不処罰に反対の声を上げるため。そしてサラ副大統領を直ちに弾劾裁判に掛け、解職することを求める民衆の叫びの反映だ」と述べた。
ドゥテルテ前大統領批判の急先鋒と知られ、前政権で保釈なしの長期拘束を受けたレイラ・デリマ元司法相は声明で、「エドサ革命は神話ではない。比国民が民主主義とは単なる概念ではなく、戦いであることを証明した瞬間だった」と強調。「専制政治は決して消えず、形を変えて戻ってくる。われわれの戦いは終わっていない」とした。
女性政党ガブリエラのブロサス党首は「マルコス一家はまた国民から略奪した財産を返しておらず、ドゥテルテ前大統領は麻薬戦争下での大量の殺害の責任を追わねばならず、サラ副大統領は公金の不正使用について説明しなくてはならない」と批判した。
国軍本部に立てこもったラモス氏らを守るため市民にエドサ通りに集まるよう呼びかけた、革命の立役者シン枢機卿の右腕だったビレガス元大司教も、声明を発表。「マルコスの時代は、フィリピンにとって楽園の時代ではなかった。大規模な汚職と窃盗、反対派の抑圧、政権に反対する声を上げる人々の拷問の時代だった。その歴史を修正し、誤解させ、欺こうとする人々に抵抗してほしい」と訴えた。
▽「歴史消す意図ない」
エドサ革命は現代史で、開発独裁政権が民衆により転覆した日として記録されているが、マルコス家にとっては、自政権の正当性を裏付けるため打って出た大統領選で、中央選管による当選宣言を受けたもかかわらず、一家が国を追われた因縁の日だ(選挙監視団はコリー・アキノ氏の当確を発表していた)。マルコス大統領就任後初のエドサ革命記念日は週末と重なることを理由に1日前にずらされ、昨年のエドサ記念日は同じ理由で休日の特別非労働日から除外され、今年は平日だったにもかかわらず「特別労働日」として、休日から外された。
大統領広報班のカストロ次官は25日、会見で「エドサ革命記念日を休日に戻すべきではないのか」との記者団の質問に、「(休日の指定・除外は)大統領の特権。特別労働日は国民に記念行事への参加が励行されており、いかなる記念行事も妨げられない」と説明。「少しづつ歴史を消し去ろうとする計画だという批判もある」との指摘には、「大統領就任後いかなる記念行事も中止されたとは聞いていない」とした。
これに対し、集会に参加したコリー・アキノ元大統領の孫キコ・アキノさんは「昨年、週末だからという理由で休日から外されたが、春節は週末にもかかわらず休日に含まれていた。かれら(政府)が何を言っているかでなく、何をしたかで判断するべきだ」と述べた。(竹下友章)