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ハロハロ

2014/12/8 社会

 太平洋戦争は73年前の1941年12月8日に始まった。日本の海軍航空隊がハワイ・オアフ島真珠湾の米海軍基地を奇襲攻撃したのがきっかけだった。随分前の話なので、この日をご記憶の方はごく少ないのではないか。私は小学校6年生だったが、今も忘れられないことがある。その一つは「米英両国と戦闘状態に入れり」という大本営発表の臨時ニュース。「英国が世界一のはずなのに、どうしてアナウンサーは米国を先にするのだろう」。こんな疑問が頭に浮かんだのを覚えている。

 そして午後の授業。「日本軍がいつまで優勢か分からない」。教壇に上ると図画の先生が深刻な表情で児童に話し掛けた。「まだ戦争が始まったばかりなのに……」。戦勝祈願に出かけ、朝から気持ちが高ぶっていた私は水をかけられる思いだったが、結局、先生の危ぐ通りになった。米植民地のフィリピンが戦場になったのは開戦とほぼ同時で、日本軍の主力は12月22日、ルソン島に上陸。翌年1月2日にマニラを占領。比米軍が持ちこたえていたルソン島西岸部バタアンは4月9日、コレヒドール島は5月6日陥落した。

 米軍は2年後の44年10月、レイテ島に上陸し反攻に転じ、翌年2月、マニラ市街戦を開始。迎え撃つ日本軍は小銃代わりに竹やりの現地召集兵が主体の陸軍2万人。一度も互角に戦うことなく1万人が戦病死した。大戦で亡くなったフィリピン人は推定110万人、日本人は52万人。日本が侵攻しこの国に残した「負の遺産」は少なくない。戦争放棄をうたった憲法第9条「日本国民は国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を忘れてはならない。(濱)

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