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鬱病を発症して15年、マンガ家・広江礼威が語る“病気”と“描く”こと

2025/3/12 日本エンタメ

犯罪都市・ロアナプラを舞台に、荒事も請け負う違法な運び屋・ラグーン商会と、彼らが出会う裏社会の人々によるクライムアクションを描く「BLACK LAGOON」。2001年に月刊サンデーGX(小学館)に読み切りが掲載され、2002年に本格的な連載がスタートした。メディアミックスも展開され、単行本の発行部数はシリーズ累計980万部を突破。作者の広江礼威にとって代表作の1つとなっている。しかし、その歩みは決して順調なものではなかった。広江自身が公表している通り、彼は2010年に鬱病を発症。以降は長期休載を挟みながら、自らのペースを守ることを優先しつつ、「BLACK LAGOON」を執筆している。現代社会では、さまざまなきっかけや事情で心の病を発症し、仕事を休みながら、もしくは治療を続けながらなんとか働き、生きている人がたくさんいる。そんな中、鬱病を治療しながら、マンガ家という、言ってしまえばほかに代わりがきかない職業に就いている広江は、どんな思いを抱えながら日々を過ごしているのだろうか。胸の内を明かすという点で語りづらい部分も多々あったと思うが、広江は快くインタビューを引き受けてくれた。同じように苦しむ人々に何か寄り添える部分があることを信じて、このインタビューをお届けする。

犯罪都市・ロアナプラを舞台に、荒事も請け負う違法な運び屋・ラグーン商会と、彼らが出会う裏社会の人々によるクライムアクションを描く「BLACK LAGOON」。2001年に月刊サンデーGX(小学館)に読み切りが掲載され、2002年に本格的な連載がスタートした。メディアミックスも展開され、単行本の発行部数はシリーズ累計980万部を突破。作者の広江礼威にとって代表作の1つとなっている。

しかし、その歩みは決して順調なものではなかった。広江自身が公表している通り、彼は2010年に鬱病を発症。以降は長期休載を挟みながら、自らのペースを守ることを優先しつつ、「BLACK LAGOON」を執筆している。

現代社会では、さまざまなきっかけや事情で心の病を発症し、仕事を休みながら、もしくは治療を続けながらなんとか働き、生きている人がたくさんいる。そんな中、鬱病を治療しながら、マンガ家という、言ってしまえばほかに代わりがきかない職業に就いている広江は、どんな思いを抱えながら日々を過ごしているのだろうか。胸の内を明かすという点で語りづらい部分も多々あったと思うが、広江は快くインタビューを引き受けてくれた。同じように苦しむ人々に何か寄り添える部分があることを信じて、このインタビューをお届けする。

取材・文 / 熊瀬哲子

「BLACK LAGOON」より。
【画像】「BLACK LAGOON」12巻の巻末に収録されている座談会企画「ヘタレの地平線」では、「ロベルタリベンジ編」執筆時の思いが赤裸々に語られている

「みんなはどう生きているのだろう」この企画に至った経緯

広江に話を聞く前に、少しだけ筆者についても説明させてほしい。今回広江に話を聞きたいと思ったのは、筆者も約6年ほど鬱病の治療を続けながら、このコミックナタリーという編集部で仕事を続けているからだ。私は2019年に(細かく説明すれば、さまざまな積み重ねとなる出来事が前後にあるのだが)とあるショッキングな事件をきっかけに鬱病を発症。直接的ではないものの、その事件と仕事が関連付けられるものでもあったため、半年ほど職場から離れることを選択し、休職に至った。ありがたくも弊社の上司や同僚はとても理解があり、復職後の今も症状に波のある私を気遣い、自分のペースで働かせてもらっている。

少しずつではあるが、以前よりも症状が落ち着いてきたと思っていた2023年、唯一の近親である母を病気で看取ってからその症状は悪化した。まともな日常生活を送ることが困難となり、ベッドから体を動かすことができない日々が続いた。そんな中、すでに4年ほど鬱病と付き合っている私は「いつになったらこの暗いトンネルの中から抜け出せるのだろう」「それでも人は働かないといけない」「同じ症状を抱える人たちはどうやって、自分ではどうすることもできないこの苦しみを抱えながら生きているのだろう」と考え続けていた。

時間の経過と環境の変化で少しずつ調子を取り戻してきた頃、それでもこの病気と付き合いながら、これからどう生きていくか、そしてどう働いていくかを考えることは続いていた。そんな頃、X(旧Twitter)で、広江のこんな投稿を目にした。

広江礼威の公式Xより。の表示はこちら

広江礼威の公式Xより。の表示はこちら

広江が鬱病を治療し、休載を挟みながら連載を続けていることは知っていた。この投稿を見て、言わば“鬱病の先輩”である広江に話を聞くことで何か得られるものはないだろうか、そして同じように悩む読者に何か届けられるものはないだろうかと考えた私は、広江に取材を申し込んだ。

「ロベルタリベンジ編」の評価が分かれたこと、父との別れ

前置きが長くなってしまったが、前述したような、今回の企画に対する思いを真摯に受け止めてくれた広江にインタビューの時間をもらった。

取材の場には、広江と「BLACK LAGOON」の立ち上げの頃から付き合いのある、担当編集の夏目氏も同席。広江本人だけでなく、そばで見ていた夏目氏からも客観的な言葉をもらうことにした。まず最初に、鬱病が発症した当時の様子について、広江に聞いてみる。

「具体的なきっかけはわからないんですが、マンガの作業がだんだんつらくなってきて、思考もなかなかまとまらなくなってきたんです。次の作業をやろうと思っても、手が止まってしまって。『描きたくない』という意思が出てくる前に、もう手が止まっているんです。それで『これはダメだ、描けない』と思い、夏目さんに状況を話して。休みましょうということになったのが、最初に休載した(2010年)頃の話です」(広江)

夏目氏も当時の広江を見て、ただごとではない様子を感じ取ったという。

「原稿が遅れていたので様子を見に行って、顔を見たら広江先生の焦燥した感じが伝わってきました。『伸び切ったゴムが、パンっと切れた』というようなことを広江先生に言われたのを覚えています。これは完全にダメなんだと思いました。そういう状況だということを編集部にも連絡して、そのとき手をつけていた原稿はすでに半分くらい作画が終わっていたので、ページ数を減らす形で掲載して、そこから一旦休載して少し様子を見ましょうという話になりました」(夏目氏)

当時、広江は現在において「BLACK LAGOON」で最長シリーズとなる「ロベルタリベンジ編」を連載(単行本6~9巻収録)。同シリーズでは、恩人であるディエゴの仇を討つため、彼を暗殺したアメリカの特殊部隊を追い、復讐の化身となったロベルタの姿が描かれた。

「ロベルタリベンジ編」が収録された「BLACK LAGOON」6~9巻。

単行本12巻の巻末に収録されている座談会企画「ヘタレの地平線」でも詳細に書かれていることではあるが、広江にとって「ロベルタリベンジ編」は、自身の中で1つの集大成となるようなエピソードだったという。しかし、読者からの感想は大きく二分された。夏目氏はそのときの広江の心情をこう分析する。

「作風から読者に誤解されている部分があるかもしれないんですが、広江先生は出会った頃から繊細な人だったんです。俯瞰して物語を描くのではなく、キャラクターに没入して作品を作る人なので、例えば悪党を描いているとその人たちの心情とどんどんシンクロして、その感情に付き合っていくことになるので、キャラクターのつらさもどんどん自分のものになっていく。その過程で、自身の中での善や悪についての思いを問題提起しようとした『ロベルタリベンジ編』を発表してみたら、読者からは評価が分かれた。それ自体は仕方のないことだけれど、広江先生自身がいろいろ吐き出してはみたものの、なんとなく読者に理解されない部分があったのが、つらくなっていったようです」(夏目氏)

またその頃、広江の父は入退院を繰り返している状況だった。親孝行をしたいという思いを抱えながらも、目の前の仕事を優先した結果、その思いを形にすることが叶わず父はこの世を去ることになった。広江にとって、相当な精神的負荷が重なった時期だったようだ。

「親父が死んだときは、自分ではそこまでメンタルに来ていないと思っていたんですけど、意外に食らったダメージがデカかったみたいで。後からじわじわと(つらさが)来る感覚がありました。ただ、それらが鬱になった直接の原因かというと、わからないんです。『ロベルタリベンジ編』で溜まった負荷と、親父の死。後から考えてみたら、それが原因になっていたのかもしれない、という感じです」(広江)

自分にとってのリハビリが、読者からは「なんだ、元気じゃん」と思われてしまう

広江がいよいよ「もうダメだ!」と感じたのは、「ロベルタリベンジ編」の後に発表した「フォン編」の連載途中だという。しかし、「ダメだ!」と感じてからも、単行本作業で連載の期間を空けてしまったことに引け目を感じていた広江は、待っている読者のためにがんばらなければいけないという思いから、無理矢理にでもマンガを描くことを続けた。結果として、そこで半年ほど“我慢”を続けたことが、冒頭に触れた広江のXでの投稿の「ギリギリまで我慢した結果がこれなのでみんな休んだ方がいいよ、10年無駄にするよ」という言葉につながる。

その後、「BLACK LAGOON」の休載中も、広江は絵を描くこと自体を完全に辞めたり、それにまつわる仕事を完全に休んだりしていたわけではなかった。「BLACK LAGOON」の外伝小説の挿絵や第3期OVAのパッケージの執筆作業など、マンガ以外の仕事に取り組んでいた。それはマンガ家として完全に絵を描くことから離れないためのリハビリであり、気晴らしでもあった。

「BLACK LAGOON」の単行本。

また海外で開催されるアニメのイベントにゲストとして招待された際には、悩みながらも登壇することを選んだ。「人前に立つことはつらくなかったか?」と尋ねると、広江は「絵を描く仕事じゃないからこそ、受けられた感じがある」と答える。サイン会やインタビューなどで人と話すことは逆に気晴らしになるのではないかと感じ、思い切ってロサンゼルスに向かった。確かに、筆者も鬱の症状が出ているときは、ひとりでPCに向かって原稿作業をするよりも、外へ取材に出向いたり、インタビュー取材を行ったりと、同じ仕事の中でも誰かと会話することのほうが気晴らしになることがある。ただ、そういった行動が読者の誤解を生むことにもなったそうだ。

「そうやってイベントに出て話しているところを見ると、読者からは『なんだ、元気じゃん』と思われてしまう。自分の場合、すべてができないわけではなく、机に向かってマンガを描くということができなかった。そこはなかなか理解されないところですね」(広江)

広江は休載をしている間も同人誌を制作するなど、マンガを描くこと自体からも完全に離れているわけではなかった。

「同人誌の発行は自分の責任でしかないので、最悪、描けなかったら描かないでいいんです。締切も自分で決められる。そのレベルであれば手を動かせるかもしれないということで、リハビリのつもりで描いていたんです」(広江)

しかし、やはり読者からは「連載はできないけれど、同人誌は描けるんだ」という反応が出てくることもある。仕事でマンガを描くことと、趣味でマンガを描くこと。そこには確実に違いがある。読者として、もどかしい気持ちになるのはいちマンガファンとしてもとても気持ちがわかるのだが、職業は違えど同じ病気を抱えるものとしては、そういった部分での理解が広がるといいなと感じる。

無理に描いたら「BLACK LAGOON」を嫌いになりそうだった

改めて、休載に入った当時の様子を夏目氏に聞いた。

「当時は僕も理解が浅かったので、最初の頃は『休む』と言っても2~3カ月くらいでなんとかなるのかな、くらいの感じで捉えていました。休載するからといって、広江先生と関わりを断つわけにはいかないので、マメに会いに行って話はしていました。それも別に仕事の話ではなくて、ちょっと顔を出して会話をして、また来るねというやり取りをしていたんですけど、そういったことを繰り返しているうちに、これはちゃんと支えていかないといけないんだとわかってきました。

『BLACK LAGOON』は(掲載誌の)サンデーGXでも大人気作品だったので、当時の編集長にも『いつ頃に再開できそうなの?』と聞かれることもあったんですが、『ちょっと休めば大丈夫、というレベルの話ではないので、長期的に構えておいてください』と伝えていました」(夏目氏)

TVアニメ化やOVA化に加え、ノベライズやスピンオフが展開されるなど、雑誌の看板作品でもある「BLACK LAGOON」。どんな人であろうと誰かの代わりになることはできないが、クリエイターはその人自身が生み出す作品も唯一無二のものとなる。広江は、自身の作品を読者が待っていることにプレッシャーは感じなかったのだろうか。聞いてみれば「それどころじゃなかった」と言う。

「BLACK LAGOON」のメインキャラクターであるレヴィ。

「読者が続きを待っていると考えると、余計に病むので。もう『無理だ』という感情しかなかったですね。その頃は心気症がひどくなったのと、パニック障害(の発作)も出ていました。その中で無理に描こうとすると、『BLACK LAGOON』を嫌いになりそうだった。たぶん、嫌いになったら永久に描けないので。それだけは避けようと思って、薬を飲んで、手が動くようになるまでは『BLACK LAGOON』に触りたくないと思っていましたね」(広江)

そんな広江の様子を見守っていた夏目氏はこう振り返る。

「当時すごく危なかったときがあったんです。会うたびに『あ、危ないな』と。自死を選んでもおかしくないように感じるときもありました。ただ広江先生が何気ない話をしてくれたら、『うん、そうなんだ』とただその話を聞く。そこで『(マンガの)続きを描きましょう』だなんて言えませんでした」(夏目氏)

同じ鬱病でも違うこと、同じこと

筆者の個人的な話をすると、希死念慮が特にひどいときは、お風呂はもちろん、歯を磨くために立つことすらできなかった。我慢の限界を迎えてトイレに向かうことがやっとで、人として本当に、最低限の中でも最低限のことしかできないでいた。逆に私の仕事はベッドに横になっていたとしても、ノートパソコン1つあればできてしまうので、寝ながらメールのチェックや簡単な記事の執筆などはすることができた。体を動かすのは困難だったが、手先を動かすことは思いのほか容易だったのだ。

「僕の場合、日常生活への影響はそこまでなかったんです。比較的早い段階でいい医者に出会えたからかもしれません。一番症状がひどいときは死にたい感覚もあったと思うんですけど、それは本当に最初の2カ月くらいで、薬を飲んだら徐々に改善していきました」(広江)

同じ鬱病を患っていても仕事と日常生活で症状の違いがはっきり出るというのは、筆者にとっても発見だった。広江とも「逆ですね」と思わず感心し合ってしまった。仕事はできないがそれ以外のことはできる広江と、仕事はできてもまともな日常生活を送れなかった筆者は、(各々が感じている)発症のきっかけが仕事とプライベート、それぞれの由来するところが少し異なるからかもしれない(あくまでこれは素人の筆者が感じたことである)。

「BLACK LAGOON」12巻の巻末に収録されている座談会企画「ヘタレの地平線」では、「ロベルタリベンジ編」執筆時の思いが赤裸々に語られている。

しかし、筆者も毎日気分を安定させる薬を飲み続けているが、それももう5年ほどになる。一時期飲んでいた薬の影響で体重は30キロも増えた(体重の大きな変化こそないが、広江は薬の影響で甘いものを好むようになったという)。これを飲み続けることで、本当に寛解に向かっていくのだろうか。田中圭一の「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」という、鬱病から脱出できた人を取材したエッセイマンガがあるが、私も本当に「うつヌケ」を感じられる日が来るのだろうか?と、家までの帰り道やベッドの中、ふとしたときに考えてしまう。

「そう思いますよね(笑)。僕も薬を飲んでないと本当にヤバいんで。たまに飲み忘れると、まったく眠れなくなったり、気持ちが落ち込んだりする。薬を飲んでいればちゃんと効いている感覚があって、仕事もできる。だけど薬を絶やすとヤバいことになるので、そこはもう諦めていますね。これを飲み続けてやっと正常になれる、みたいな感じがずっとあります」(広江)

症状が落ち着いている時期だと感じていても、会社や友人との食事の場でケラケラとたくさん笑い、楽しいときを過ごした帰り道、急に息苦しさを感じて慌てて薬を飲み、心を落ち着かせるときがある。ここまで話を聞いていて、きっと広江にもそういう日があるんじゃないかと思い、そのように問いかけると「あります、あります」と笑った。

「たぶん、一回壊れるともう関係なくなっちゃうんだと思いますよ。壊れたところはそうそう直らない。薬を飲むことでオブラートに包むようなことはできるけど、ヒビが入っちゃったものは直らないのかなって、僕は感じていますね」(広江)

今やっている仕事は、締め切りを設定しない

骨折などと違い、鬱病には“完治”がないと言われる。鬱病患者が目指すところは、完治ではなく“寛解”。広江の言う通り、一度ヒビ割れたものが完璧に元通りになることがないとすると、鬱を抱える人たちはそれとうまい付き合い方を探していかないといけない。広江は今、どのように鬱と付き合っているのだろう。

「これは僕の場合、完全に1つしかなくて。プレッシャーのかかる仕事はしないということ。夏目さんあってのことなんですけど、僕は今不定期連載でマンガを描いていて。基本的には締め切りを設定していない。その状態でしか、僕はもう仕事ができないんです。

毎日机に向かってちゃんと仕事はするんですけど、ケツが決まっていて、プレッシャーになるような仕事は、もうたぶんできないと思います。それをやってしまうと、心にヒビが入る。薬でごまかしつつ、様子をうかがいながらやっていくことしか、これからもできないと思うんですよね。だから、夏目さんが『そんなのダメだよ』と言ったら、僕のマンガ人生はそこでおしまいなんです(笑)」(広江)

担当編集の夏目氏の理解があるからこそ、今でも広江はマンガを描くことができている。鬱病を患いながら仕事をしていくには、やはり周囲の理解が必要になると感じる。

「(周囲の理解は)重要ですよ。無理に働き続けるのだけは、絶対にやめたほうがいい。心をひたすら壊し続ける以上の何者でもないので。周りが『いいからやれよ!』と言ってきたら、そこで全部おしまい。それはもう逃げちゃったほうがいいと思います。『俺だってがんばっているんだから、お前もがんばれ』っていうのはよくない。それがやせ我慢を増長させてしまう」(広江)

マンガを描いている限り、寛解はない

ちなみに、休載中もなんらかの仕事をしていたという広江だが、夏目氏曰く、広江は「休むのがヘタ」なんだという。「鬱病は真面目な方がなりやすいと言われるじゃないですか。広江先生もそうで、根がとても真面目。休みを設定しても、どう休んでいいかわからないから、とりあえず仕事場に来てしまう。数年前からサウナに行くことを覚えたので、気晴らしにもなるし、完全にマンガから切り離すこともできるので、無理しない程度にサウナに行きなさいと言ってます(笑)」と微笑む。

またTVアニメ「Re:CREATORS」に携わったことも、広江にとって目先を変える仕事になったようだ。同作は2017年に放送されたTROYCA制作によるオリジナルアニメ。広江はストーリーの原作、キャラクターデザインの原案を手がけた。夏目氏はそのときの印象を語る。

「なんとなく、広江先生がものを作る方向に戻れるようになったのは、『Re:CREATORS』がきっかけなんじゃないかと思います。絵を描くわけではなく、まずお話を文章で書くところから始まったので、そういう機会をもらって、徐々に執筆作業に戻れるようになった。ただ、まだ『BLACK LAGOON』に手をつけるのは怖いという話だったので、掲載誌などの詳細を決めないまま(2019年よりゲッサンで発表している)『341戦闘団』のネームを『描けそうだったら描いてみたら?』というところから、マンガの執筆も徐々に進めていきました」(夏目氏)

広江にとって、「BLACK LAGOON」を描くことだけが怖くなってしまったのだろうか。

「『ロベルタリベンジ編』を描いたときに、気力とかすべてを絞り出す感覚があって。燃え尽きたイメージが自分の中にありました。今は薬を飲んでなんとかものを描ける状態になっているけれど、あれくらい本気で作品に向き合ったら、たぶん次は死ぬなと思っています。何かを描いているとどこかで絶対にプレッシャーはかかってしまうものですが、『ロベルタリベンジ編』ではそれをどこまで制御しながら突き詰められるかを、力試しでずっとやっていた感じでした。自分ができることをすべて突っ込もうと思って描いていたので、それが終わり、なんとなく思っていた成果が出なかったから、ちょっと心がくじけてしまったのかもしれないです」(広江)

「BLACK LAGOON」のロベルタ。

広江が命を燃やす勢いでいた『ロベルタリベンジ編』。評価は分かれたかもしれないが、今も「BLACK LAGOON」を愛し、続きを待っている読者はもちろんたくさんいる。「完結させたいという思いはあるか?」とはっきり聞いてみると、「もちろん、だから続けているわけです」と力強く言葉にした。「BLACK LAGOON」を描き続けるため、いつか完結させるため。今の広江は無理をせず休んでみたり、何かほかのことに挑戦してみたりと、試行錯誤を繰り返しているのだろう。

「昔だったら120キロで突っ走れたんだけど、今はエンジンが壊れちゃったから、50キロでしか走れない。50キロの走りに付き合える人は、付き合ってくださいという感じですね。どこかでガス抜きをしながらやっていかないと、次倒れたときには本当に描けなくなって、終わりになってしまうので。そうならないように自分もいろんなことを加減してやっているので、そこはわかっていてもらえるとうれしいです」(広江)

また最近の様子を聞く中で、広江はこうも語った。

「僕にとってマンガを描くっていうことは、絶対に負荷もプレッシャーもかかることなので。マンガを描き続ける限り、僕に寛解はないと思っています」(広江)

覚悟を感じる言葉だった。

「一生マンガ家を続けるためには、一生かけてこの状態をキープして、描けるようにしていくのが大事。いかに改善していくかというよりは、ここからどう落ちないようにするか。どこまで現状維持を続けられるかを考えています」(広江)

二人三脚の関係、そしてコミュニケーション

そんな広江にとって、やはり夏目氏の存在は大きいように感じた。広江にとって夏目氏は“終身担当”なのだという。夏目氏が「広江先生がマンガ家を辞めるって言わないと、僕も編集をやめられない(笑)」と笑うと、広江は「そうそう」と頷き「二人三脚ですよ、本当に。夏目さんのおかげで『BLACK LAGOON』は成り立っている」と、夏目氏への信頼を感じる言葉を口にした。

「BLACK LAGOON」13巻の発売時に新宿駅に掲出されたポスター。作中のセリフと「胸を撃つ生き様がここに。」というキャッチコピーが印象的な1枚だ。

最後に広江を支える夏目氏にも、何か話しておきたいことはあるかと聞いてみた。

「後輩の編集者には機会があれば『作家のメンタルも含めて、とにかく健康管理に努めてあげてください』と伝えています。僕自身、若いときは理解が足りていなかった部分があって、根性論じゃないですが『連載に穴を開けちゃいけない』という思いがあったんです。けれど、後輩編集者には、作家さんのすべてを理解してあげられなかったとしても、寄り添って話を聞いて、作家さんの気持ちを大切にしてあげてねという話をしました。

今は自分も歳を重ねたし、自分の担当作家さんの年齢も全体的に上がったので、そこも含めて、健康的に無理なことはしないでいいですよという話をしています。周りの編集者にも理解がある人が増えてきたので、広江先生が鬱になって描けなくなった当時に比べたら『つらいときは無理をしなくていい』という認識が広まったように思います。

ただ、SNSを見ると、一般的にはまだそういったことに理解があるのは一部なのかもしれない、と思うこともある。理解してもらえる人に出会えるかどうかは運でもあるので難しいんですけど、周りに理解者を作るのは大事ですよね。作家さんであれば、担当さんとうまくいかなければよそにあたってみるとか、絶対にその人と組まないといけないということはないと思います」(夏目氏)

筆者の経験として、鬱の症状がひどい時期は体が動かないため、家にこもりがちになり、社会とのつながりがとても薄くなったように感じた。しかし比較的調子がいいタイミングで会社に赴き、同僚と何気ないコミュニケーションを取るだけでも、暗いトンネルの先に少しだけ明かりが見えるような感覚があった。母を亡くし、15年ほど2人で住んでいた家にひとり残された期間は、孤独感が日々強まっていたが、今は「おはよう」「今日は寒いね」といった、周囲との何気ない日々の会話がとても大切であることを強く感じている。

広江も「1人になると、それだけどんどん病んでいきますから。何かあったときに助けてくれる人が周りにいるかどうかというのは大事」だと語った。実際夏目氏は、広江が休載している間も広江のもとに顔を出し、雑談をしていたと話している。きっと広江にとっても、それは社会とのつながりを絶たないための大事なコミュニケーションになっていたのではないかと思う。

ただ、すべての人がそうやって周囲の人とコミュニケーションを取れる境遇や環境に恵まれているわけではないだろう。そのうえで、もし周りに少しでも頼れる人や言葉を交わせる存在があるのであれば、自分の中に残っている僅かな力を費やしてでも、周囲とのつながりを手放さないでほしいと、経験者としては願っている。

「BLACK LAGOON」の単行本。

そんな私の思いを受けて、夏目氏と広江に改めて言葉をもらった。

「僕と広江先生も、今はこうやって友人のような感じですけど、そうは言っても仕事を依頼してそれを受けてもらっているという関係性がベースとしてある。広江先生のつらかった時期を見ていると、休むのがうまくないとか、コミュニケーションが苦手でなかなか人と話せないとか、そういう人はきっと同じ状況に陥ったときに、誰かに頼ったり、力を抜くことが難しいと思います。けれど、少しでも残っている力で、SNSなのか、友達なのか、会社の知り合いなのかはわかりませんが、誰かとつながりを持っていられるといいですよね」(夏目氏)

「全体的に不寛容な社会になっているのもよくないですよね。いろんな人がいろんなところにいるわけですから。小さいことからでいいから、それぞれの立場を考えて、触れ合っていけたらいいですよね」(広江)

現実は簡単には解決できないことばかり。広江にしても筆者にしても、社会や人とのつながりを保ったまま、自分なりのペースで仕事をして生きていくことができているのは、そういった意味ではとても幸運なことだろう。苦しむ人の中には、それこそ個人との交流だけでなく、福祉の力に助けを求めるべき場合もある。そんな中で、ただの会社員の自分にできることは決して大きくはないが、広江の言う通り、小さなことからでもいいので、自分が日々関わっていく人々とはお互いのことを考えながら触れ合っていきたい。そして、こうやってインターネットを通じて世界に届ける記事も、誰かの心に寄り添えるように作っていきたい。

広江礼威(ヒロエレイ)

1972年12月5日神奈川県生まれ。1994年月刊コミックコンプ(角川書店)にて「翡翠峡奇譚」でデビュー。以後読み切りや短期連載、同人活動を中心に行っていたが、2001年に月刊サンデーGX(小学館)にて読み切り作品「BLACK LAGOON」を発表。銃弾と過激なスラングが飛び交うガンアクションを疾走感たっぷりに描き、翌年正式連載となる。2006年にTVアニメ化され、2010年から2011年にかけて第3期OVAが発売された。2017年に放送されたオリジナルTVアニメ「Re:CREATORS」では原作・キャラクター原案を担当。2019年からはゲッサン(小学館)にて「341戦闘団」を連載している。そのほか書籍のイラストや「Fate/Grand Order」「アリス・ギア・アイギス」の一部キャラクターデザインなども手がけている。

相談窓口

<電話による相談>
いのちの電話(一般社団法人 日本いのちの電話連盟)
ナビダイヤル:0570-783-556(10:00~22:00)
フリーダイヤル:0120-783-556(毎日16:00~21:00 / 毎月10日8:00~翌日8:00)

<相談窓口一覧ページ>
厚生労働省 まもろうよこころ

(c)広江礼威/小学館

提供元:コミックナタリー

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