「赤い家」遺産保存できたはず 勇敢な女性たちの物語
タマリンドやキンキジュに囲まれたその家は「バハイ・ナ・プラ(赤い家)」と呼ばれている
ブラカン州サンイルデフォンソ町を経由し北上する時、左側の草原にぽつんと立つ古民家にあなたも気づいただろう。タマリンドやキンキジュに囲まれたその家は「バハイ・ナ・プラ(赤い家)」と呼ばれている。まるでショールをまとった老婦人のように、色あせたバラ色の夕日色をしている。
第二次世界大戦中、日本軍の兵舎として使用されていたその家に、当時ブラカン州やパンパンガ州の若い女性や少女が何カ月も拘束され、日本兵の性奴隷として扱われた。その暗く辛い歴史は、半世紀以上の沈黙と悲痛の中から現れた勇敢な高齢女性たちによって明るみとなった。
2000年に70代半ばが中心の女性50人以上が「赤い家」に集まった。その多くがパンパンガ州カンダバ町マパニケ近郊の出身者だった。芸術家はキャンパスに色とりどりのドレス姿の女性たちを描き、幸せなひとときだった。
だが兵士たちが彼女らを求め列をなしたあの暗黒の章が起きたその場で彼女たちの物語が語られると、涙を流し、その心も粉々に散った。
1944年11月23日、日本兵はマパニケに火を放ち、男たちを虐殺、若い女性に戦利品や食糧をサンイルデフォンソまで運ぶよう命じ、女性たちはそこで数カ月間拘束された。
この時の集会は同年12月に東京で開かれる「女性国際戦犯法廷」に向けた準備の一つでもあった。私は、過去の亡霊が蘇るその厳粛な場に立ち会い報告した。
「赤い家」は現在空っぽの殻の状態だ。他の多くの遺跡同様、保存することもできたはずなのに。(17日・インクワイアラー、マリアセレス・ドヨ)