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10月30日のまにら新聞から

ベトナムとフィリピン 2つの国が歩んだ道

[ 790字|2020.10.30|社会 (society)|新聞論調 ]

 フィリピンは19世紀、コメなどの輸出国だった。この繁栄がスペインで教育を受けた比人知識階級を生み出した。ホセ・リサールも最新の芸術、科学、技術に通じた比人の1人だった。比は米国の二枚舌政治と日本占領を経ても、1960年代までは東南アジア最大の経済大国だった。

 そこから比の転落が始まる。マルコス独裁政治により80年代には「アジアの病人」と呼ばれるまでになった。ベニグノ・アキノ政権下の2013年には世界銀行から成長を高く評価されるまでに回復したが、その後数年で比はまた独裁への誘惑に屈することになる。結果は8年ぶりの低水準となった19年の成長率に表れている。

 一方、ベトナムは1960年代、米国との戦争で疲弊。70年代後半、米軍を追い出し、南北統一を果たすが、なお中国、カンボジアとの戦争に悩まされた。当時は米国の影響力が強いASEAN(東南アジア諸国連合)からも排除された。

 しかし、有能で愛国的な指導者の下、国家存亡の戦いが国民を団結させた。ドイモイ(刷新)を掲げた政府は「社会主義志向の市場経済」を推し進めた。輸入を抑え、外国投資を呼び込んで国内生産力を増強。成功事例を採用して食料自給率を向上させ、農村を開発した。平等主義の原則から世界レベルの基礎教育と保健制度を確立。1世代のうちに戦争で荒廃した国から奇跡の発展を遂げた国に生まれ変わった。

 今では大量のコメを比などに輸出し、電気自動車も生産している。ベトナムの子どもたちの数学と理科の学力は世界10位以内。新型コロナウイルス感染症をいち早く抑え込み、今年、1人当たりの国民所得が比を上回る見込みだ。ドゥテルテ大統領が南シナ海(比名・西フィリピン海)で中国に対抗することへの恐れを口にしたのに対し、ベトナムは中国の海洋進出に勇敢に立ち向かっている。(27日、インクワイアラ—、リチャード・ヘイダリアン)

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