敬意と尊厳のこもった支援を コロナ下の現金給付や食糧支援
52歳のマグダさんは家政婦で、毎日、マスクをして雇い主の家まで歩いて通っている。朝早く家を出て、太陽が沈んでから雇い主の家を出る。
ある日、彼女は仕事を早めに切り上げさせてもらい、社会福祉開発省の現金給付を受けるためにバランガイ(最小行政区)の事務所に手続きに向かった。ルソン全域で防疫強化措置が実施されて約2カ月が経過し、ようやく8千ペソの現金を得ることが出来るかと思うと興奮した。必要なのは政府機関発行の身分証明書1枚だけのはずだった。しかし、午後4時ごろにバランガイ事務所に着いたマグダさんには驚きの現実が待っていた。
役所は数千人と思われる住民でごった返し、ソーシャルディスタンスはおろか足の踏み場もなかった。彼女はその混沌とした現場を見たとき、「キアポ教会の黒いイエス・キリスト像の行列のようだ」と思った。最初は女性だけが並ぶようにと役人に言われ、マグダさんは並んだ。しかし6時間経過すると、今度は男性だけが並ぶようにと言う。群衆の中で窒息しそうになりながらも12時間後の翌朝4時、彼女はついに現金を手に入れた。スラムにある小さな家にたどり着いた時には、彼女はただベッドに倒れこむばかりだった。もう一度、現金給付があったとしてもこんな経験を繰り返したくないと思った。
マグダさんにはペンキ屋の内縁の夫と子どもが一人いた。夫は都市封鎖で仕事がなく、マグダさんの仕事が唯一の収入源だった。当然、バランガイがくれる配給食糧は大切な支援である。しかし、1回目の配給はコメ6キロにマカロニ1袋、イワシの缶詰8個、一人用粉コーヒー12袋、そしてカップケーキ1個だけ。2回目も変わり映えなく3人家族の暮らしには全然足りない。特にコメは政府米のようで、パサパサして質が悪かった。彼女のケースは決して特別ではない。一家族千ペソ以下の予算でももっとましな食糧が用意できるに違いない。支援というのは人を12時間並ばせて8千ペソ配り、イワシの缶詰を配ることではない。絶望の淵にいる彼女たちに敬意と尊厳を持って接することなのだ。(11日・スター、アイリス・ゴンザレス)