名もなき勇者たちの行進 バタアンの悲劇を語り継ぐ
9日、旧日本軍の捕虜となった8万人近いフィリピン、米両軍兵士が炎熱の太陽の下、マラリアに苦しみながらも105キロの道のりを歩いた「バタアン死の行進」から75年となる。節目となるこの年にもう一度、比国民にこの出来事について考えてもらいたい。
母親がルソン地方バタアン州オラニ町出身ということもあり、幼少期からこの出来事は私にとって身近なものであった。しかし比国民にとってはどうだろうか。多くの国民が、死の行進についてあまり知らないように思う。悲劇を繰り返さないためにも、75年の今年、改めてこの出来事について学び、後世へと語り継いでほしい。
ある日ニュースを読んでいると、死の行進を歩いた米軍兵の孫、ロバート・ハンセン氏の言葉が胸に突き刺さった。「バタアン死の行進は、米国人にとっては真珠湾攻撃の次に語り継ぐべき第2次世界大戦中の出来事。死の行進についての歴史を学ぶことはとても重要」とハンセン氏は語っている。比にも同じことが言えると感じた。
1942年の4月9日、旧日本軍は、比米両軍捕虜約8万人を同半島からタルラック州カパス町オドーネル収容所まで移動させた。その距離が想像できない読者には、首都圏マニラ市のルネタ公園からケソン市のケソン・メモリアル・サークルまでの距離を8回分、酷暑の中、水も食料もない中歩き続けることを考えてほしい。薬も枯渇する中、多くの兵士がかっけやマラリアに苦しんだ。
比の英雄といえば、ホセ・リサールやアンドレス・ボニファシオがまず挙げられるだろうが、戦争を二度と繰り返さないためにも、死の行進を歩いた、名も無き英雄たちを忘れないでほしい。(5日・ブレティン、元上院議長マニー・ビリヤール)