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6月15日のまにら新聞から

新たな時代へ 大統領訪日の意義

[ 712字|2015.6.15|政治 (politics)|新聞論調 ]

 国賓として訪日したアキノ大統領を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐会で、天皇陛下が先の大戦に触れ、犠牲となった多くの比人に深い哀悼の意を示されたことは、今回の訪日における最も重要な出来事だった。

 天皇陛下は「第二次世界大戦中、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が比国内で行われ、多くの比国民の命が失われた。このことは日本国民が深い痛恨の心とともに、長く忘れてはならないことであり、とりわけ戦後70年を迎える今年、当時の犠牲者への深い哀悼を表します」とのお言葉を述べられた。

 天皇陛下は、日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日当時の昭和天皇の皇太子であった。翌日、日本軍はパンパンガ州クラークの米軍基地を空爆し、バタアン半島が没落してからの3年間は、日本軍による統治時代が続いた。マッカーサー連合国軍最高司令官がレイテ島に再上陸を果たすまで、多くの比国民の命が失われた。戦後、比国民の間で反日感情は高まったが、徐々に終息していった。そして今日、バタアン半島陥落を記念する式典には比日米各国政府の高官らがそろって出席し、戦争放棄と平和の構築を誓っている。

 日本政府の高官はこれまでの式典で、多くの犠牲者に哀悼の意をささげてきた。しかし今回、日本の天皇陛下として初めてお悔やみの言葉を述べられたのは実に画期的だった。

 日本政府は、比の領海を監視する目的で比沿岸警備隊(PCG)へ巡視船10隻の供与を決定した。米国の後押しも受けて、日本は世界の安全保障の舞台で重要な役割を果たす方向に動いている。今回のアキノ大統領訪日は、比日両国の緊密な関係が新たな時代を迎えたことを意味している。   (7日・ブレティン)

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