キリスト教徒の国か
12歳の少女自殺
十二歳の少女が二日、ミンダナオ地方ダバオ市内の自宅で首をつって自殺した。貧困のどん底にある家族の状況に耐えられず自ら命を絶った。日記には「冷たいご飯のため物ごいをする家族」の様子がつづられ、「両親に仕事が見つかり、学校へ行けますように」「きれいな服と靴が欲しい。自転車で学校へ行きたい」などとささやかな願いが書き込まれていた。
フィリピンはキリスト教徒の国と言われる。国民の七割はカトリック教徒、二割は様々な宗派のキリスト教徒で構成され、アジアで唯一、キリスト教徒が国民の大部分を占める国となっている。
少女自殺の報に接し、比は本当にキリスト教徒の国なのかと問いたい。キリストの「汝(なんじ)の隣人を愛せ」という教えは果たして守られているのか。すべての人を神の子として尊重するはずのカトリック教徒の国で起きた少女の自殺は、国民が貧困にあえぎ、死が貧困からの「解放者」となり得る現実を物語っているのだ。
調査によると、千百万人の国民が一日当たりの生活費四十五ペソ以下の生活を強いられている。にもかかわらず、彼らに向けられる慈愛はないに等しい。近隣には「異教徒の国々」があるが、キリスト教徒の国より貧困層に対する支援は厚いようにみえる。
そんな現実の中、カトリック教会は潤沢な資金の後ろ盾により、豪華で空調付き要塞のような建物を有し、教区民を対象にした様々な宗教儀式を有料で行っている。その偉容は貧しい国民をあざ笑うかのようだ。そして、聖職者らは多数の国民と同様、政治問題にわが身を埋没させ、世話をすべき信者らのための時間をほとんど持とうとしないのである。(9日・マラヤ、ダッキー・パレデス氏)