不参加は恥にあらず
金メダルを取れない比
フィリピンが五輪に初参加して今年でちょうど八十年になる。今回のアテネ大会でも金メダルはまた、われわれの手の中からこぼれ落ちてしまった。比選手団の十六人は世界のトップ・アスリートたちに囲まれる中で大変健闘したものの、金メダルにかすることすらできなかった。
比五輪委員会などの策定した選手養成プログラムにもかかわらず、選手たちが活躍できなかったのは、プログラムを支える資金がなかったためだろう。われらの政府は、前回シドニー大会などの放映権料の累積未払い分、百二十万ドルの半額さえ出し渋る状態なのだ。
資金不足の理由を探すとき、われわれは常に国内経済低迷に責めを負わせてきたが、問題は資金だけではない。
なぜ、比スポーツ界のリーダーたちは自己最高記録が世界標準にほど遠く、五輪で通用しないような選手を五輪の舞台へと送り続けるのか。なぜ、多少なりとも希望の持てるテコンドーやボクシング、射撃、アーチェリーなど一部競技に絞った選手養成をしないのか。
メダルの希望がないため、五輪参加を当面見合わせることは恥ではない。八年後、十二年後の大会に照準を合わせた育成プログラムを組み、熟した果実が自然に落ちるがごとく、金メダルが手中に収まるのを待てばよいのだ。
また、ケーブルテレビで五輪放送を見ることができる今、国営テレビ局による五輪放送にこだわる理由は何もない。五輪放送用の資金は、アジア大会や東南アジア大会に出場する選手の養成に回し、両大会でのメダル獲得を狙った方がよほど賢明だろう。(8月30日・スタンダード)