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4月26日のまにら新聞から

ロコ前長官の悲劇

[ 689字|2004.4.26|社会 (society)|新聞論調 ]

知性とは無縁な選挙

 治療のため急きょ渡米したロコ前教育長官は、果たして立候補を正式に取り下げるのか、それとも選挙運動を続けるか。盟友のオスメーニャ地方開発党党首は「米の医師らは既に運動続行のゴーサインを出した」と言い、前長官スポークスマンは「ロコ候補は意気軒高」と言う。

 いかなる決断が下されようとも、選挙終盤での突然の治療渡米は前長官にとって致命的な状況を既に生んでしまった。医者が「健康」の太鼓判を押そうとも、有権者の脳裏からは「大統領の激務をこなせるのか」という懸念は消えない。

 また、健康問題とは別に、前長官は比特有の「悲劇」に直面するだろう。多くの政治評論家は前長官を「候補五人の中で、大統領に最もふさわしい人物」と推している。実際、前長官は弁護士や著述家、論客、熟慮実行の士などの横顔を持ち合わる。

 しかしながら、知的な人物は、比大統領選を制することができない。人物の優秀さより、人気の高さで勝敗が決まるためだ。歴史に目を転じても、「大統領として最適格者」と呼ばれたレクト、タニャダ、ラウレル、サロンガら知的かつ優秀な政治家は、いずれも大統領の座をつかみ取ることができなかった。

 現在の状況は、彼らが生きた時代とほとんど変わっていない。仮に今、大統領選に出馬したとしても不名誉な敗北に甘んじることだろう。同様のことが、ロコ前長官にも言える。健康問題や選挙運動続行とは別次元の問題なのだ。

 知性とは無関係な選挙。浅薄な思考と空虚な演説、人気、ショービジネス的な魅力・華美さに支配される選挙。前長官の悲劇は、われわれの民主主義にとっての悲劇でもある。(20日・インクワイアラー)

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