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3月3日のまにら新聞から

虐殺の地に日本国旗

[ 730字|2003.3.3|社会 (society)|新聞論調 ]

比日友好月間

 マニラ市イントラムロスに日本の国旗がはためいている。比日友好月間を祝うためという。日本とフィリピンの国旗が並んで掲揚されること自体に問題は何もない。ただし、「イントラムロスで比日友好を祝うため」となると話は違ってくる。

 イントラムロスは日本占領期に秘密警察、憲兵隊が比人を拷問した場所として知られる。それだけではない。半狂乱状態に陥った日本兵がフィリピン人の老若男女や中立国の外国人を虐殺した地でもある。ここに比日両国の国旗を掲げることは、アウシュビッツ収容所跡にドイツ国旗を掲げることと同様、恥辱と侮辱にほかならない。

 数年前、われわれはデラサール大の本校舎内に日本研究機関が設置されたことを批判した。なぜなら、本校舎は日本軍による数々の虐殺の中でも最もむごい虐殺が行われた現場の一つだからだ。日本の資金を使って日本主導で創設された基金を本校舎内に設置したことは、近視眼的歴史観と文化的無神経さを物語る唯一無二のサンプルと言える。

 観光省によると、比日友好月間の「二月」は、ある大名が十七世紀にキリシタン禁制の日本からフィリピンへ亡命した月にあたるという。ただ、このことだけに焦点を当てることは、一九四五年二月に起きた身の毛もよだつような虐殺事件を無視することになる。

 「日本人を許したのか」と問われれば「そうだ」とわれわれは答える。しかし、「(これら事件を)忘れた」とは決して言わない。無思慮で反省のない「友好月間」は、戦争犠牲者と今を生きるフィリピン人と日本人に対する不正義だ。

 われわれは、比日友好月間を八月に変更することを提案したい。「八月」は太平洋戦争終結の月であり、比日両国が平和条約に調印した時期でもあるからだ。(22日・トゥデー)

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