性描写に執着するな
ポルノ隆盛の映画界
性描写の過激な映画が今、再び話題になっている。「カトリック啓もう映画鑑賞運動」はこのほど、『透けて見える肉体』(バカット)に倫理的に問題なしとの評価を与えた。この映画はわいせつな内容であると予想されていたが、父親の子どもに対する抑圧的な愛といったまじめなテーマを取り上げている。
一方、キャンパスの花形が男子生徒に誘惑される『利用されるだけ』(ガミタン)と二組のカップルが乱交パーティーで相手を取り替える『肉体』(ラマン)を、同団体は「倫理を乱す」などと非難した。なぜ、映画産業は裸と性行為がはんらんする「ポルノ映画」に取り付かれているのだろうか。
理由の一つは映画産業が停滞状態にあることだろう。観客を呼び戻すのには性的興味に訴えることが手っ取り早いと制作者は信じている。古くはアルマ・モレノから最近ではリカ・ペラレホなど、多くの有名女優がポルノ映画で知名度を獲得した。
昨年、当時の映像審査委員長がセックスショーを演じる若者の生き様を描いた『ライブショー』の上映禁止に抗議、辞任した。彼はポルノ映画について、性欲を刺激するために性器や性行為を描写する映画と定義した。特徴として、映画の他の要素はそっちのけで、性的刺激の制作に集中することが挙げられるだろう。
性描写があるからといってすべての映画が禁止されるわけではない。性行為は生活の一部であり、これを隠すことはできない。しかし、制作者や監督はポルノに取り付かれることをやめ、他のテーマを探して欲しい。報道にとって死んだニュースなどないのと同様、映画制作においてもつまらない題材などないはずだ。必要とされるのは制作者らの想像力と創造性、審美眼だけだ。(17日・インクワイアラー)