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6月17日のまにら新聞から

何を、どう祝うのか

[ 704字|2002.6.17|社会 (society)|新聞論調 ]

独立記念日の意義

  十二日は独立記念日だった。エミリオ・アギナルド初代大統領がカビテ州カウィット町で独立を宣言してから百四年目を迎えた。この日は国旗と国歌の正式な誕生日でもある。

 国旗の「赤、白、青」の三色は当時独立を手助けした米国の星条旗から採用した。米国の協力は、独立時は「無欲」に見えた。しかし実際には、単にスペインを倒すためにフィリピン人を利用したに過ぎなかったことが分かった。

 十九世紀の初め、米国の星条旗が「赤、白、青の三色旗」と呼ばれた一方で、フィリピンの国旗は「赤、白、青と輝く太陽」と名付けられた。三角はフランス革命の自由、平等、博愛を意味している。

 国歌はといえば、三つの言語で歌われる国歌は世界でもスイスを除けば唯一のものだ。原型のスペイン語と、英語、タガログ語。何とも皮肉なのは、スペイン語の歌詞がオリジナルで、その後日本の占領中にタガログ歌詞ができたといういきさつだ。

 タイトルにも変遷があり、最初は「進めフィリピンのマグダロ(アギナルド)派」だったが、「進めフィリピン国」へと変わった。フランスの「ラ・マルセイエーズ」と同じく、国の危機状態において作られた。

 フィリピンの独立宣言は対スペイン戦の初勝利を機になされた。米国の独立宣言より劇的だったと言える。

 一九四六年七月四日にフィリピンは米国から独立したが、当時のトルーマン米国大統領はこれを歓迎しなかった。その後、六二年にマカパガル大統領が記念日を六月十二日に変更することを決定する。

 独立記念日は単なる休日ではない。問題はどう祝われるかだ。われわれはなぜこの国家的行事を祝うのだろうか。(13日スター、アレハンドロ・ロセス氏)

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