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6月10日のまにら新聞から

警察とマスコミ

[ 711字|2002.6.10|社会 (society)|新聞論調 ]

パサイの人質殺害事件

 パサイ市の「人質ドラマ」で、テレビ局は映像の一部にぼかしを入れた。人権と視聴者感情に配慮した判断だった。ただ、銃弾が画面中央の「ぼかし」の中へ消えたことで、「警官の発射した弾が子供に当たったのではないか」という予想外の疑念が増幅された。

 多数の警察官が現場に駆け付けたが、その対処方針はぼかし映像と同じぐらい不鮮明だった。彼らは①野次馬やマスコミを遠ざける②命令系統を統一する③解放交渉は専門家に任せる︱︱などの基本を一つとして守らず、被害者の運命は警察の意思不統一と無能さにより決定付けられてしまった。

 その結果、人質の無事救出という最も重要な責務を果たすことができなかった。しかも、被害者の母親が「息子には銃創が一カ所あった」と指摘したように、警官の放った銃弾が被害者に当たっていたのだ。

 アロヨ大統領は「関係機関の教育不足と優柔不断」を認めたが、訓練・能力不足という問題は国家警察全体にはびこる疫病のようなものだ。先日の悲劇は悲しい現実を改めて思い起こす契機にすぎない。

 問題はマスコミにもあった。テレビ局の記者は現場到着後、容疑者に近付き、テレビカメラを通じて要求を訴えるよう説得したが、これはマスコミの役割から逸脱した行為と言わざるを得ない。

 比マスコミ文化で、記者の素早い機転は美徳として評価される。事実、所属局は容疑者とのやり取りを「特ダネ」として扱ったが、記者はやはり人質解放の交渉役になるべきではなかった。記者がニュースを作る側に回った場合、相対立する利益の片方に加担することになるからだ。われわれには、やるべき仕事がある。警察の責務まで背負い込むことはないのだ。 (3日・インクワイアラー)

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