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4月15日のまにら新聞から

英雄的とされた受難

[ 706字|2002.4.15|社会 (society)|新聞論調 ]

バタアン陥落60周年

 自分たちの敗北を祝うとはいったい何という国家なのだろう。また、英雄と犠牲者を混同し、国家行事に宗教的色彩を強く反映させるとは。きょうはバタアン半島陥落の六十周年である。例年の四月九日から一日早まった。これは連休を増やし、経済を活性化しようとするのが目的で、アロヨ政権の消費至上主義政策に基づく措置に過ぎない。

 ところで、バタアンという場所はわれわれ国民に語り継がれているが、なぜ敗北がこの国の歴史にこれほど重要な位置を占めるのだろう。比米連合軍がその地で勇敢に闘い、日本の大東亜共栄圏の構築を著しく遅らせたからという議論があった。だが、その提唱者だったマルコス元大統領自身が自分の戦争勇士像をでっち上げたことが明るみに出たため、議論は色あせてしまった。バタアンで闘った比米軍は装備などが不十分であったにもかかわらず長期間にわたって抵抗した。このため「精神的な勝利であった」という側面も取り上げられる。

 しかし、そのことだけでバタアンの陥落を祝っているわけではない。陥落のあと、敗軍が徒歩で歩かされるといういわゆる「死の行進」で、七万人いた比米軍のうちタルラック州に生きてたどり着いたのは六万人にすぎなかったという。この残虐行為が世界を憤激させ、国内の反日地下抵抗運動を促したのである。

 しかし同時に、この「死の行進」で兵士たちは、食糧や水、睡眠や医療などが与えられないという厳しい耐乏生活と苦難を経験したのだ。これら兵士たちの恥辱的な苦しみこそが、フィリピン人にイエス・キリストの受難の物語を追想させたのだ。つまり、キリスト教徒のわれわれは自分たちの受難こそ英雄的と考えるのだ。(8日・インクワイアラー)

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