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10月10日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 717字|2011.10.10|社会 (society)|ハロハロ ]

 きょうは10月10日。1964年のこの日、世界94カ国の選手が参加して東京オリンピック競技大会が国立競技場で開幕した。アジア初の五輪。戦後の復興から立ち上がった日本が経済を発展させて、一流国の仲間入りしたことを裏付ける画期的な出来事だった。単なるスポーツイベントではない。そんなことで、2年後にこの日が国民の祝日である「体育の日」になった。ところが、国は、連休を設けることが先行したのか、「体育の日」を10月第2月曜日にした。これでは何の意味もない。今年は第2月曜日が、たまたま10日だったが。

 当日、バックスタンド最上段の聖火台に聖火が燃え上がる競技場で、聖火をオリンピック発祥の地、ギリシャのオリンピアで最初のトーチに採火したアレカ・カッツェリさんと再会した。28年前のベルリン大会でも採火したギリシャ悲劇の大女優。まさか日本で再会できるとは思わなかった。聖火を運ぶ特別機はアテネからイスタンブール、ベイルート、テヘラン、ラホールを経由してアジアの主要都市を歴訪。各地で、さまざまな表情の聖火リレーを繰り広げた。

 バンコクからマニラ入りした筆者は9月3日午後、特別機で運ばれてくる聖火を待った。マニラ国際空港から聖火のトーチをかざして走り出した第一走者はフィリピン大学在学中のアルバート・ウィリアムズ君=当時26。母親が日本人で、2歳まで五輪開催地の東京で育ったことを比オリンピック委員会は選考理由に挙げていた。ルバング島残留日本兵の救出調査団に同行して初来比した5年前、前大戦で米軍の攻撃を受けて沈没、船体の一部を海面にさらしていた日本艦船の姿は夕暮れ迫るマニラ湾になく、平和な海に戻っていた。 (濱)

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