ハロハロ
♪上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは誰も無口で〜♪
一九八〇年代末、メディア志望の学生たちを対象に、当時、勤務していた会社が開いた作文教室で即席講師をやらされた。そのとき、よくこの部分を引用させてもらった。阿久悠作詞「津軽海峡冬景色」冒頭の一節である。
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降りたとき「から」雪の中、という表現は論理的におかしい。しかし、悲しみを振り切って北国へ帰っていく女の心情と、降り立った雪の駅の情景がかぶさってピシッときまっている。ここを「には」にしたら歌にならない。客観と主観といった文章論の一端としてそんな話をした。
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テレビの追悼番組を見て、阿久悠さんも十歳前後で戦争中の禁忌的束縛から突然、解放され、旋風のようにやってきた映画、野球、ジャズや流行歌という戦後文化の洗礼をもろに受けたことが分かった。戦争が終わった二学期の授業は教科書を墨で塗ることで始まったわが世代。平和と自由を謳歌するこれら遊びのとりこになった。わたしの場合、これに競馬が加わる。敗戦から三年目の中学一年のとき、芋畑になっていた競馬場が復活。自宅がコースに隣接していたので、屋根の上で観戦しているうち、馬券に手を出すようになった。 (紀)