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7月25日のまにら新聞から

ハイアライフロントン

[ 971字|1999.7.25|社会 (society)|名所探訪 ]

議論の末に再開

 平日の午後四時、雨模様にもかかわらず、トライシクルなどでやってきた約二百人が開場を待つ。三十分後、三つの入口の開門と同時に一斉に競技会場に流れ込む。けがを避けるために入口のひとつは女性専用となっている。

 建物は一九九三年にマニラ市のデパート「ハリソンプラザ」横に建てられ、半年ほどしか使われず閉鎖されていたため、内部はまだ新しい。全館冷房完備で、投票券売場、配当予想表や試合の様子を映すモニター、スナック類を売る店舗が並ぶ。

 試合会場は劇場のステージと同様に正面奥にある。約三千人を収容できる観客席との間にはネットが張られており、ステージ上は縦七メートル、横三十メートルのコートとなっている。選手は観客席から向かって縦横約七メートルの右側の壁に「セスタ」と呼ばれる手にはめた用具で、ソフトボール大の球を打ち合う。床に二バウンドする前にボールを打ち返せないと「負け」となる。試合時間は二十分程度。

 月—土曜日の午後五時半から深夜まで十四の勝ち抜き戦が行われる。最終戦を除き、出場選手は六人。二人づつがゲームを行い、最初に五勝挙げた選手が勝者、二位は次に勝ち点の多い選手となる。本場スペインのバスク地方出身の二十人余りの選手が主流だ。

 試合が始まった。二十代のフィリピン人女性がお気に入りの選手に声援を送る。四選手が三勝づつで並ぶなど競り合う展開になると、一打一打に「ポギー(男前)、がんばれよ」などと歓声が上がる。決着がつくと、勝者に向けた賞賛よりも、「ボボ」「タガ」など敗れた選手に対する容赦ない嘲笑や怒りの声が響く。

 各試合の賭け方は、最終戦以外は、一位、二位を予想する「フォーカス」と連続する二つの試合の勝者を占う「ダブル」があり、最低賭け金は十ペソ。最終戦には十人が出場し、一、二、三位を予想する。最終戦の配当は平均三百から五百倍の高配当になる。

 ハイアライは周辺地域の風紀を乱す、勤労意欲を喪失させるなどの理由で一九八六年以降、禁止されていた。ラモス政権時の九三年に一時、再開したが、半年間ほどで廃止された。ところが、エストラダ政権は「収益を貧者救済に」を大義名分に復活させた。

 常連客らは「フィリピン人好みのギャンブルだ」と喜ぶが、ハイアライ復活後は、「公営ギャンブル」をめぐる議論を呼び起こしている。(上野洋光)

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