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12月13日のまにら新聞から

「平和への願いを記憶に」 キリノ大領顕彰碑が完成

[ 1446字|2024.12.13|社会 (society) ]

モンテンルパ市にキリノ大統領の顕彰碑が完成。除幕式が開かれる

キリノ大統領顕彰碑の除幕式に参列した遠藤和也大使(右から5人目)と明子夫人(同4人目)。右から2人目が比日連合財団の浅沼代表=12日午後、首都圏モンテンルパ市で竹下友章撮影

 日比友好親善を目的とするNPO法人比日連合財団(PHUF、代表・浅沼武司)は12日、首都圏モンテンルパ市で、在比日本国大使館、モンテンルパ市、司法省矯正局の協力のもと、エルピディオ・キリノ第6代大統領の顕彰碑完成を記念する除幕式をとり行った。式には、モンテンルパ市のビアゾン市長、刑務所を管轄するカタパン司法省矯正局長官、遠藤和也駐比日本国大使・明子大使夫人、マニラ日本人会岡本和典会長、国際協力機構(JICA)比事務所の坂本威午所長、国際交流基金マニラ事務所の鈴木勉所長らのほか、キリオ大統領のめいに当たるキリノ財団アレリアンジェエラ・キリノ代表らキリノ家代表、世界中に約300通の日本人戦犯恩赦嘆願の手紙を送った画家・加納莞蕾の娘で加納美術館名誉館長の加納佳世子さん、比日協会のジョセフ・ウイ理事らが参席した。

 太平洋戦争中に妻子4人を日本軍に殺されたキリノ大統領は1953年、厳しい対日感情が渦巻き賠償交渉が難航する中、死刑囚含む日本人BC級戦犯105人への恩赦を決断し、比日国交正常化への道をひらいた大統領として知られる。除幕式で登壇者は「赦(ゆる)し難きを赦す」という同大統領による困難な決断が、戦後の日比平和の基(もとい)となったことを振り返り、比日友好と平和への思いを語った。

 キリノ財団アレリアンジェエラ代表は、「妻と3人の子ども、さらに5人の親類を日本人に殺された私だからこそ、日本人戦犯に特赦を与える最後の大統領となるべきだ。私は子孫と国民に末永くわが国の友となるである日本人への憎しみを、私から引き継いてほしくない」というキリノ大統領の恩赦の声明を引用。「次期大統領選への立候補を考えていたキリノ大統領は、政治的に不利になると承知で決断を行った。世界中で紛争と対立が激化している今だからこそ、『私を突き動かした慈悲の感情が人々の心に響いてほしい。人類愛こそが平和の基(もとい)なのだ』という大統領の願いが伝わってほしい」と訴えた。

 加納佳世子さんは「約70年前にキリノ大統領が恒久の平和を願って行った勇気ある決断を、私たち日本人は決して忘れない」とたたえた上で、「父『は赦し難きを赦すという決断が友好と平和をもたらす』と大統領に何通もの手紙を送った。『赦しの思想で、憎しみの連鎖を断つことこそが平和と友好をもたらす』と言い続けていた。加納莞蕾の意志を継ぐ私は、この考えを声高らかに世界に伝えたい」と語った。

 遠藤大使は「2026年には国交正常化70周年を迎える」とし国交正常化の道をひらいた恩赦に思いを致した上で、「われわれは先人の悲劇と、現在われわれが享有する平和を得るために先人が払った努力を決して忘れてはいけない。未来への希望と過去の教訓を抱き、温かく末永い比日友好関係と共にキリノ大統領の記憶を顕彰し続けたい」との思いを表明した。

 日本占領期のラウレル大統領を輩出したラウレル家が運営する比日協会からはジョセフ・ウイ理事が登壇し、フランシス・ラウレル会長のメッセージを代読。「戦時中の日本の占領期、フィリピン人は親日と反日とに引き裂かれ、日本の帝国主義は対日感情に負の影響を与えた。極めて厳しい対日感情にもかかわらず、未来の世代のために戦犯に赦しを与えたキリノ大統領の決断は、戦後の比日友好関係をもたらした。今日、共にキリノ大統領を顕彰できるのは両国の友好関係の証だ」と述べ、キリノ大統領の決断と戦後の比日友好の歴史をたたえた。(竹下友章)

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